縁あって拙著を出版していただいた水声社の社主の(インタビューによる)回想
鈴木宏『風から水へ ある小出版社の三十五年』、論創社、2017年、を読む。
とくに後半では学術関連の書籍出版の実態が詳しく語られていて、私も他人事とは言えないのでたいへん興味深く読み耽る。いやはや、いやはや。
それはそれとして、別の内容の箇所を引用しておきたい。
文学は「飢えて死ぬ子」のまえでは無力ですが、かりにその子が飢えを生き延びて、「大人」になろうとするときには、あるいは「大人」になったときには、絶対的に「必要な」ものです。(その意味では、比喩的に言えば、「精神的な〈餓え〉を癒すもの」ということでしょうか)。人間は、物質的な〈餓え〉さえ解決されればいい、というものではありません(それだけなら動物と同じです)。人間が人間になるためには、人間であるためには、「文学」が絶対に必要なのではないでしょうか。その意味では、「文学」は人間の条件です。「言語」「知性」「芸術」「遊び」「労働」「(生殖を目的としない)性欲」といったようなものが、人間と動物を分かつもの、人間の条件として考えられてきましたが、「文学」もまた人間の条件、非常に重要な条件のひとつなのではないでしょうか。
文学が絶対に必要だと言い切ること。その覚悟が自分にはまだ足りないのではないかと思った次第。
昨日に続いてクロ・ペルガグ Klô Pelgag の『あばら骨の星』(2016) より、"Samedi soir à la violence"「凶暴サタデーナイト」(という邦題)。
S'il te plaît, ne m'oublie pas
Souviens-toi au moins de moi
Si ta mémoire se noie
Sauve-moi, sauve-moi
S'il te plaît, ne m'oublie pas
Souviens-toi au moins de moi
Si la lumière te voit
Sauve-toi, sauve-toi
("Samedi soir à la violence")お願い、私を忘れないでせめて私を思い出してもしもあなたの記憶が溺れてしまっても私を助けて、私を助けてお願い、私を忘れないでせめて私を思い出してもしも光があなたを見たら逃げ出して、逃げ出して(「凶暴サタデーナイト」)