えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

「わたしはだれだ」第1話公開

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 東北大学の先生と学生制作のフランス語ドラマ「Qui suis-je ? わたしはだれだ」第1話「突然、もう一つの人生が始まる」が満を持して公開されました。

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 フランス人名探偵ルイ・デュモンが日本の女子大生雨宮青葉の体に乗り移り、名探偵あおばとして仙台を舞台に謎を解決していく! という連作物語。あっという間の18分、日仏の文化を織り交ぜた謎解きも楽しい力作に仕上がっています。日仏の字幕あり。「A suivreつづく」の文字がまぶしくも頼もしく、今後の活躍が楽しみです。すべてのフランス語学習者にお勧めしたいと思います。

 

「対訳で楽しむモーパッサンの短編」第1回/クリスチーヌ&ザ・クイーンズ「ああ、言ってよ」

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 『ふらんす』、2018年10月号より、6回にわたって、「対訳で楽しむモーパッサンの短編」を連載することになりました。1回4ページ。

 せっかくなのでモーパッサンの一番良いところが詰まった作品を紹介したいと思い、最初の2回は「宝石」"Les Bijoux"を取り上げました。実はイラストも自作です(むふふ)。

 恐ろしいことにもう11年も前になる「宝石」についての記事を、

宝石 - えとるた日記

今読み返してみると、ほとんど同じことを昔から言っていることに気づき、進歩のなさに愕然とさせられる。精進せねばなりません。

 

 クリスチーヌ&ザ・クイーンズ Christine & the Queens は、Christine から tine を抜いて Chris になりつつある模様。

"Damn, dis-moi"、とりあえず「ああ、言ってよ」と訳しておきます。

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Que faire

De l’énergie que j’perds

Quand j’te veux

Damn dis-moi comment mieux

(Toucher)

("Damn, dis-moi")

 

どうすればいいの

私が失ったエネルギーを

あなたが欲しいとき

ああ、言ってよどうすればもっとく

(触れられるのか)

(「ああ、言ってよ」)

  英語版は、"Girlfriend"。

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『収容所のプルースト』/ミレーヌ・ファルメール「ローリング・ストーン」

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 ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』、岩津航訳、共和国、2018年を読む。

 チャプスキ(1896-1993)はポーランド出身の画家・作家。戦後はフランスに滞在しつづけた。

 彼は1939年にソ連の捕虜となり、スタロビエルスク、次いでグリャーゾヴェツ捕虜収容所に送られた。同房者の大半は、後に「カティンの森事件」でソ連軍に処刑される。チャプスキは奇跡的に生き延びることが出来た一人だった。

 その捕虜生活の中で、捕虜たちは「精神の衰弱と絶望を乗り越え、何もしないで頭脳が錆びつくのを防ぐため」に、「知的作業」に取り組んだという。その事実にまず驚かされるが、本書はそこでチャプスキがプルーストについて行った講義の内容である。

 わたしは感動して、コルク張りの部屋でびっくりしているプルーストの顔を思い浮かべた。まさか自分の死後二十年経って、ポーランドの囚人たちが、零下四十度はざらに下回る雪の中で一日を過ごしたあとに、ゲルマント夫人の話やベルゴットの死など、あの繊細な心理的発見と文学の美に満ちた世界についてわたしが覚えていたことの全部に、強い関心を寄せて聞き入ることになるとは、さすがの彼も思わなかっただろう。

(ジョゼフ・チャプスキ「著者による序文」、『収容所のプルースト』、岩津航訳、共和国、2018年、17頁)

 もっともだからといって、その内容は決して悲壮感の漂うものなどではなく、しごく平静に大作『失われた時を求めて』の魅力と意義が語られている。したがって、これはとてもよくできたプルーストの入門書と言えるのだけれど、もちろん、本書はその特異な成立事情を抜きに語ることのできないものだろう。

 その意味で、本書は末尾の「プルースト、わが願い――訳者解説にかえて」があって初めて今日の日本でも意味を持つ書物になっていると言えるだろう。翻訳者に真摯に敬意を表したいと思う。

 それにしても、収容所というような絶望的な場所にあって、文学の、しかもその記憶が、人になんらかの希望を与えるということがありえるのだろうか。訳者の言葉を聞こう。

いつ解放されるのか予想のつかない苛酷な状況でチャプスキがプルーストを思い出したとき、病気のために蟄居を余儀なくされながらも死に対してほとんど無関心でいられたプルーストの姿は、大きな慰めだったにちがいない。しかも、芸術の救済を語るプルーストは、獄中のチャプスキと同じく、記憶のなかの芸術を見つめていたのだ。本書に見出されるのは、プルーストの「快楽」を語りがちな平和な批評家には見えない、死を前にした厳しいモラリストとしてのプルースト像である。本書の原題『堕落に抗するプルースト』とは、このパスカル的なプルーストのことであり、同時にプルーストのおかげで知的堕落に抵抗した捕虜たちの姿を示唆している。

(「プルースト、わが救い――訳者解説にかえて」、同前、178頁)

 文学を大切に思う者にとって、これほど力づけられる事例はそうそうあるものではないと思う。だが一方で、我が身に顧みて、もし自分がそのような場に置かれたら(想像したくもないが、しないわけにはいかない)、はたして自分にどれだけのことが語りうるのかと思うと、まことに心もとないばかりだ。

 ところで、収容所の中のチャプスキの手元にプルーストの本などあったはずもなく、すべては記憶をもとに語られたのだが、そのことは、病身で十分な資料を見ることができないながらに、記憶で膨大な文学作品の引用をしたプルーストの姿と重なる、と訳者は指摘する。

ただ、正確な書き写しが許されない状況でもなお語らずにはいられない文学こそが、その人にとっていちばん重要な問題に応えてくれるはずだ。なぜなら、読書は、本を読んでいる時間ではなく、読んだ後の人生における反映で、初めてその射程が測られるものだからだ。ジョージ・スタイナーの有名な評論の題名を引くなら、これは「人間を守る読書」の輝かしい実践例なのである。

(同前、184頁)

 まことにその通りと首肯するばかり。血肉と化した読書の経験が人を生かす力になりうるということの実例として、チャプスキが示してくれていることの意義はとても大きなものだと思う。

 最後に、これは極秘に綴られた手記ではなく、また脱走経験が語られるわけでもない。その点で多くのユダヤ人の戦争体験記とは異なる、と訳者は言う。

しかし、それでもなお感動的なのは、あれほど追いつめられた状況において、外国文学が精神の「堕落」への抵抗の根拠となったということである。それは驚くべきことである。しかし、あり得ないことではないのだ。

(同前、185頁)

  そう、あり得ないことではない。その希望を与えてくれる本書『収容所のプルースト』は、すべてのプルースト愛好家はもちろん、文学に関心(と希望と)を持ちつづけるすべての人にとって、一読する価値がある書物だと思う。

 最後に付け加えておくと、本書は、表紙の青い部分だけがカバーになっていて、つまり上部は表紙が見えている。なかなか斬新でクールな装幀が素敵です。

 

 ミレーヌ・ファルメール Mylène Farmer の新曲「ローリング・ストーン」"Rolling Stone" のPV が公開される。2018年中に新しいアルバムが出るとの噂。

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La La La

La La La

Suis de celles qui maudissent

Qui comptent plus

Qu'un "c'est fini"

La La La

Si je dis... love

La La La

Suis easy

It works for me

All... I need is Love

("Rolling Stone")

 

ラ ラ ラ

ラ ラ ラ

わたしは呪う女の一人

「終わった」しか

数えない女の一人

ラ ラ ラ

もし私が… love と言うなら

ラ ラ ラ

私は easy

It works for me

All... I need is Love

(「ローリング・ストーン」)

『モーパッサンの修業時代』書評掲載/グラン・コール・マラード「赤信号で」

 『図書新聞』、第3339号、2018年2月17日付に、倉方健作氏による拙著『モーパッサンの修業時代 作家が誕生するとき』についての書評が掲載されました。やれ嬉しや。この場を借りて感謝を申し上げたいと思います。

 前半は主に著書の内容の紹介。後半部の一部分を引用させていただきます。

 本書はフランスで1970年代以降蓄積された研究に根ざしている。モーパッサンの「誕生」に至る過程をこれほど丹念に追った研究書は本国でも求めがたいだろう。作家の歩みに付き添う端正な文章は論理の飛躍や錯綜とは無縁であり、説得的であると同時に心地よい。モーパッサンの愛好者、また文学研究者に資するところは大きく、この時期の作家に関する最先端の知識を一足飛びに手にすることを可能とする――だが、それゆえの不安もなしとしない。「修業時代」を経て「誕生」したモーパッサンの到達点、つまり完成された作家像を思い描くことのできない読者にとっては、本書を最後まで読ませるだけの牽引力が足りないのではないか、という危惧である。読後に受けた印象は、ちょうど本書の表紙画のアップショットに似ている。モーパッサンの顔に一瞬寄る皺までも子細に描き出すような本書の筆致は、そこに潜む思考や感情の機微をも明らかにするが、その一方で歩みを進めている青年を取り巻く風景や、周囲を同じように歩む人々の様子を示すロングショットに欠けている観は否めない。

(『図書新聞』、第3339号、2018年2月17日、5頁)

  過分のお言葉に加えて、たいへん的確なご指摘を頂きまして頭が下がります。この後、日仏のモーパッサンの受容の違いに問題があると指摘され、拙サイト「モーパッサンを巡って」もご紹介いただき、まことに有難いばかり。

だが本当の期待はやはり、日本におけるモーパッサンの地位向上である。昨年12月9日から東京の岩波ホールを皮切りにフランス映画『女の一生』が公開されているが、これらが新訳の出版や旧訳の再刊、さらには作家の再評価に繋がることを願ってやまない。そのときにこそ、本書はその真価がさらに広く理解されるに違いない。

(同上)

  本当に、そうなったら素晴らしいことです。それに少しでも貢献できるよう、今後とも精進しようと、思いを新たにした次第です。重ねて感謝を。

 

 グラン・コール・マラード Grand Corps Malade の「赤信号で」"Au feu rouge" は2018年のアルバム『Bプラン』Plan B に収録。

 赤信号の時に出会った物乞いの女性を拒絶するが、実は彼女ヤナはシリアからの難民であったと、彼女の来歴を物語る歌。画面に映るのは実際に色々な国からフランスへやって来た人たち。

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Moi je lui dis non avec ma main et je redémarre bien vite

J'avais peut-être un peu de monnaie mais j'suis pressé, faut qu' je bouge

Je me rappelle de son regard, j'ai croisé Yana au feu rouge

("Au feu rouge")

 

僕は彼女に駄目と手で告げ、急いで発車させる

小銭を持っていただろうけど、急いでいるんだ。行かなきゃいけないんだ

彼女の視線を思い出す。僕は赤信号でヤナとすれ違った

(「赤信号で」)

『東海ヌーベルバーグ』第4話公開

 東海大学のフランス語の先生と学生たちが製作した、フランス語による短編映画『東海ヌーベルバーグ』の第4話「創り出せ! 言葉が生み出す多彩な世界」が公開されました。

www.youtube.com 2年をかけて辿り着いたこの第4話を終えて、主役の学生さんたちももうすぐ卒業とのこと。「特訓」が条件法・接続法まで行き、全編をつなぐオチもしっかり決まった上で、新しい未来への展望も開けて終わるとは、なんと見事な完結編。惚れ惚れするばかりです。

 フランス語学習者に夢と希望を与えてくれること間違いなしの『東海ヌーベルバーグ』、フランス語のみならず外国語を学習中の方に、ぜひともご覧いただきたい力作です。製作にかかわったすべての方に、全力で拍手を送りたいと思います。非力ながら、宣伝に貢献すべく一文したためました。

『ルーヴルの猫』/ディオニゾス「愛のヴァンパイア」

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 ルーヴル美術館に隠れて暮らす猫たちがいる。その中の一匹、オッドアイの白猫「ゆきのこ」は、いつまでも子どものまま、他の猫たちとも打ち解けることができずに、自分の居場所を探している。

 その猫たちの世話をしている夜警マルセルは、ガイドの仕事に馴染めないセシルに、長く誰にも言えないでいた秘密を打ち明ける。子どもの時に、3つ年上の姉アリエッタがルーヴル美術館の中で行方不明になった。孤独で居場所の無かった彼女は絵の中に入っていたのだと、マルセルは信じている……。

 松本大洋『ルーヴルの猫』(上下巻、小学館、2017年)は、この猫たちの物語と人間たちの物語が平行して語られてゆく作品である。猫たちは、普通に猫の姿で描かれる時(人間界にいる時)と、擬人化して描かれる時(猫たちだけの世界)があり、それによって、異なる二つの世界の共存が違和感なく成立している。松本大洋の猫はどれも媚びるような可愛さとは無縁なところがいい。

 猫たちは人間から隠れて暮らし、満月の夜だけ外に出て光を浴びる。「ゆきのこ」も、捨て猫だった「のこぎり」も、毛のない「棒っきれ」も、いつも寂しさの影を帯びている。一方でマルセルやセシルも、それぞれに喪失感や居所のなさを抱えて暮らしている。これは、そのような孤独を抱えた者たちの物語であるわけだが、松本大洋の鋭さと優しさを同時に表現するかのような独特の絵柄が、そうした人物たちを実に巧みに表現しているので、彼らの思いが頁にみなぎっていて、読む者の胸を切々と打たずにおかない。あえて言えば後半部の展開は(少女漫画的な)定型的なものであり、その意味で驚きは大きくないかもしれないが、しかしそこに展開する幻想的な世界が、絵の力によって見事に、説得的に表現されているから、すっかり魅了されるに違いない。静謐で、情感に溢れ、愛おしくなる、『ルーヴルの猫』は芸術的価値も高く、とびきり素敵な作品です。

 なお、ルーヴル美術館と漫画家のコラボレーション企画の一環であるので(仏語版も発売されている)、ルーヴルの美術品があちこちに登場する点、また裏方の仕事人たちの姿が描かれているところなど、細部にも興味が尽きない(ところも素晴らしい)。

 

 デイオニゾス Dionysos のリーダー、マチアス・マルジューMathias Malzieu は2013年、体内で血液が作られなくなるという難病にかかるが、手術の結果、無事に生還することができた。『パジャマを着たヴァンパイアの日記』Journal d'un vampire en pyjama(2016年)は、輸血によって他人の血を必要とする自分をヴァンパイアにたとえ、死の象徴たるダーム・オクレース Dame Oclès(ダモクレスとかけている) の幻影に怯えながら、ユーモアと想像力を武器にたたかった闘病記。それと合わせて発表されたアルバム『パジャマを着たヴァンパイア』Vampire en pyjama (2016) から、「愛のヴァンパイア」"Vampire de l'amour"。

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Oh vampire vampire de l'amour

Chaque nuit sous ta peau mon ombre

Se blottit se divise mon ombre

Je pars en confettis

("Vampire de l'amour")

 

おお、ヴァンパイア、愛のヴァンパイア

毎晩、君の肌の下で僕の影は

縮こまり、分裂する、僕の影

僕は紙吹雪となって旅立つ

(「愛のヴァンパイア」)

「ひげの女」ほか翻訳/ミレーヌ・ファルメール「ストウルン・カー」

 モーパッサンの若かりし頃の笑劇『バラの葉陰、トルコ館』を訳したのを機に、合わせて訳してしまおうと思い立った詩篇が三つ。

モーパッサン「ひげの女」

モーパッサン「我が泉」

モーパッサン「69」

 1881年、ベルギーで地下出版された『19世紀の新サチュロス高踏派詩集』に収録された禁断の詩篇。20世紀半ばまでは、伝記の中でもタイトルを明言するのがはばかられていたような代物である。

 他のより先に訳したら、なんだかモーパッサンに悪いような気がして留保していたが、『バラの葉陰』と同じ青年時代のモーパッサンの一面を示す作品に違いないので、これを機会として訳出してみた次第。

 「我が泉」は換喩法で語っているので、手法としては伝統的と言えなくもない。「69」のほうがより直接的であって、スカトロジックな点が特徴と言える。恐らく一番興味深いのは「ひげの女」だろうか。いずれにしても、なんというか、モーパッサンにあっては「背徳」とか「タブー」とかいった観念がとても希薄なので、淫靡な感じはあまりしないのではないかと思う。

 それはそうと、この『サチュロス高踏派詩集』は全3巻からなるのだけれど、これがフランス国立図書館では、地下文書を収めた「地獄」と呼ばれる部署に保管されている。そんな書籍も今ではGallicaで読めるようになっているのには、ほとほと感心するばかりだ。表紙を繰ると数頁目に、"Enfer 190" と鉛筆書きされているのであった。

 

 脈略はなく歌の話。ミレーヌ・ファルメール Mylène Farmer 2015年のシングル "Stolen Car" 。もともとスティングの曲を、スティングとデュエットするに際して、ミレーヌが一部の歌詞をフランス語に書き換えている。(歌詞では)彼女は車泥棒が奪った「車」の役だと思われるが、フランス語では voiture は女性名詞だからでもある。パリでは車もフランス語を話すのだろうか。

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Please take me dancing tonight

I’ve been all on my own

Les promesses d’un jour, d’un soir

Je les entends comme un psaume

I’m just a prisoner of love

Prisonnière de mes failles

Take me dancing

Please take me dancing tonight

(“Stolen Car”)

 

今晩わたしをダンスに連れて行って

ずっと一人だったのよ

いつか、ある晩にと約束したでしょ

詩篇のように聞いていたのよ

わたしは愛の囚われ人

自分のひび割れに囚われているの

ダンスに連れて行って

今晩わたしをダンスに連れて行って

(「ストウルン・カー」)