えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『千霊一霊物語』/バルバラ「我が麗しき恋物語」

『千霊一霊物語』表紙

 アレクサンドル・デュマ『千霊一霊物語』、前山悠訳、光文社古典新訳文庫、2019年

 刊行は1849年。舞台は1831年、語り手(デュマ自身)は、妻を殺したばかりだと打ち明ける男に遭遇、市長らと一緒に現場検証に出かけるが、そこでその男は、殺した妻の生首がしゃべりだしたのだと告げる……。

 その後、市長のリュドリュに会食に呼ばれた「私」は、奇妙な客たちと顔を合わせることになる。話は当然、先ほどの殺人犯の告白の真偽についてになるが、検死に立ち会ったロベール医師は、ただの幻覚に過ぎないと言って請け合わない。するとリュドリュ氏は断固、生首が動くことはありえると言い、なぜなら自分はそれを体験したからと、回想話を始める……。

 そこから以下、会食者たちが順に超自然的な物語を語っていくことで成り立つ連作短編、それがこの『千霊一霊物語』の構成である。話が続いていくから『千夜一夜物語』になぞらえ、それが怪談だから『千霊一霊』、というのはいかにも安直なタイトルではある(日本なら百物語というところか)。

 が、それはそれ、なんといってもアレクサンドル・デュマ。話芸の巧みさは見事なもので、ひとたび読みだしたら止まらない。あれよあれよという間に読み終えて、読み終えた途端にすべてを忘れて、後には何も残らない爽快感、とでも言おうか。正直、特別に何かを言おうという気にもならないが、これはそういう本なのだから、それでよいのではあるまいか、と思うのである。

 デュマがうまいのは、まず最初に持ってくるのが、ギロチンで切られた頭に意識は残っているかという、解説にも述べられているとおり、当時大真面目に議論された話題だという点である。そこに、処刑されたシャルロッテ・コルデーの生首に処刑人助手が平手打ちを食らわせると、恥辱ゆえに生首が赤らんだという、実際の記録に基づく逸話が挙げられる。したがって、この時点(およそ100頁)までは、まだ読者に「本当にありえるかもしれない」と思う余地が残されている。そうして読者を引きつけておいた上で、そこからようやく超自然的な領域に飛び込んでいくのである。あとはもう作者のお手の物と言うべきところだろう。

 また、さすがは伝統だなと思うのは、サン=ドニの王墓にまつわる話(第9章)があったり、怪談のベースにキリスト教の信仰があって悪魔憑き(「第10章 ラルティファイユ」)の話などが出てくるあたり。もっとも、作者が「信仰を失ったみなさんの国」(352頁)と東欧出身の女性に言わせる、19世紀半ばのフランスである。ここでは幽霊や悪魔の扱われ方は、ゴーチエの『恋する死霊』などと同様、すでに完全に近代のものである。したがって、デュマの怪談には背徳的なところは全然なく、おどろおどろしくはないので、総じて話はからっとしているという次第だ

 いやまあ、実のところ、ほとんど馬鹿馬鹿しいくらいに仰々しいソランジュとアルベールの物語(第6・7章)など、私も決して嫌いではなく、ロマン派時代(あるいはフロベール以前)の作家は自由気ままでよかったなあと、しみじみ思いもする。論文を書く気にはぜんぜんならないが、単純にして力強い「物語」の魅力と喜びがここには詰まっており、読書の原点はこういうところにあるのだという気がする。本邦初訳を寿ぎたい。

 

 先日、マチュー・アマルリック監督『バルバラ セーヌの黒いバラ』Barbara (2017) を観た。けっこう期待していたのだが、うーむ、これは一体何なのだろう、と狐につままれたような気になる。

 一体この映画には、アマルリックジャンヌ・バリバールバルバラになってほしかった、という以外に何かあるのだろうか。バリバールの演技は見事であると思うけれど、しかしもうちょっと素直に観客のことを考えて映画作れませんか、と思わずにはいられない。いやはや。

 ここはもう、本物を拝聴するしかない。INAのアーカイブより、1967年の「我が麗しき恋物語」"Ma plus belle histoire d'amour"。あまりにも美しい。フランス語を勉強してよかったと、心から思える理由の一つは、バルバラを知れたこと。最初の節だけ拙訳。

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Du plus loin que me revienne

L'ombre de mes amours anciennes,

Du plus loin du premier rendez-vous,

Du temps des premières peines

Lors, j'avais quinze ans à peine,

Cœur tout blanc, et griffes aux genoux.

Que ce fut, j'étais précoce

De tendres amours de gosse

Ou les morsures d'un amour fou,

Du plus loin qu'il m'en souvienne

Si depuis j'ai dit « je t’aime »

Ma plus belle histoire d'amour, c'est vous.

("Ma plus belle histoire d'amour")

 

一番遠いところから戻ってくればいい

わたしの古い恋愛の影が

一番遠いところから、最初の逢引きから

最初の苦しみの時から

その時、私はせいぜい15歳だった

心は真っ白、膝には爪跡

わたしは早熟だった それはなんて

子どもっぽい優しい恋だったこと

あるいは狂ったような恋の傷跡

一番遠いところから、思い出せればいい

それ以降「あなたが好き」と言ったなら

わたしの一番美しい恋物語、それはあなた

(「我が麗しき恋物語」)

『哲学する子どもたち』/ヴァネッサ・パラディ「キエフ」

『哲学する子どもたち』表紙

 毎年、6月はバカロレアのシーズンで、今年はどんな問題が出たかとニュースになるが、その時に、ふと読みだしたら止まらずに、一気に読んでしまったのが、

 中島さおり『哲学する子どもたち バカロレアの国フランスの教育事情』、河出書房新社、2016年

だった。著者はフランス在住で、本書は、二人の子どもを育てる中で著者が知ることになった、日本とは大きく異なる学校事情について綴られている。学校の中というのは当事者の子どもでないとなかなか知ることのできない所であり、なるほどそんな風になっているのか、と学ぶことが多かった。たいへん合理的に設計してあるわりに、現場の人間が自由気ままなために色々と問題を起こしながら、全体としてはなんとか回っている、というところがいかにもフランスらしい。フランスの良いところ、日本のほうが良いと思えるところ、双方に目配りが届いており、記述のバランスが取れているのが、本書が読みやすい大きな理由だろう。

 フランス型システムの特色の中では、哲学の授業、多言語教育などは特に、日本も取り入れてほしいものだと思う。フランスでは未成年の飲酒、喫煙じたいが禁止されていない(販売は禁止)ために、「中学生でも放課後や家で吸っている分には別にかまわない」(135頁)というのは知らなかったので、驚き、また納得した。その他、生徒代表を含めての成績会議、飛び級や留年の実情、修学旅行は先生しだい、停学や放校が稀ではないこと、ラテン語の行方、等々……、いや本当に知らないことばかりだった。

 ところで、本書にモーパッサンが登場するのだけれど、その箇所がとても興味深いので、長めに引用させていただきます。

 実は中学校になると、フランス語教育は突然、文学教育になる。教養課程でフランス語の初歩を習ったかと思うと、いきなりスタンダールとかカミュとか読まされる、昔の仏文科のようだ。仏文というのは、本国のフランス語の学び方を真似していたのかしら。

 そんなわけで、中学初年の第六学級では古典と中世文学がカリキュラムだとかで、ホメロスとかラブレーを現代語訳で読んでいた。

 第四学級(中二相当)では学年のテーマが一九世紀のリアリズム小説と幻想小説だったので、モーパッサンとかメリメとかテオフィル・ゴーティエとか、私にも馴染みのある作家の作品のことを子どもたちと話す楽しみが生まれた。

 モーパッサンは、永井荷風始め、日本の近代文学を作った作家たちがお手本にした作家だけれど、今日ただいま、日本でどれほどの若者が読むのだろうか。それはちょっと心もとないが、本家フランスでは、中学生が必ず読まされる作家だ。そしてモーパッサンがスゴイと私が思うのは、決して文学好きでもなければ優等生でもない現代の子どもの心を捉えて離さないことである。

 冬休みの宿題に『首飾り』を読まされて、うちのムスメは夢中になったのだが、もっと面白かったのは、宿題をやって来なかったシャルル君の話だ。読んで来なかったのでテストされる前になんとかしなければと、彼は授業を聞かずにこっそり本を読んでいたのだが、『首飾り』のオチに「C'est pas vrai !(ありえねー!)」と大きな声を上げてしまって教室中の注目を浴び、もちろん内職はバレてしまったのだった。きっとモーパッサンは墓の中で大満足でシャルル君をかわいく思っただろう。

中島さおり『哲学する子どもたち バカロレアの国フランスの教育事情』、河出書房新社、2016年、169-170頁) 

 

 Vanessa Paradis ヴァネッサ・パラディのアルバム『泉』Les Sources (2018) より、「キエフ」"Kiev"。

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Il faudra se survoler

Apprendre à garder les rêves

Jusqu'à la nuit tombée

Pour nous retrouver à Kiev

("Kiev")

 

上を飛んでいかなければ

夢を守ることを学ばなければ

夜がやって来るまで

キエフで私たちが再会するために

 (「キエフ」)

『ドルジェル伯の舞踏会』/ヴァネッサ・パラディ「その単純な言葉」

『ドルジェル伯の舞踏会』表紙

 二十歳の貴族の青年フランソワは、ドルジェル伯爵夫妻に気に入られ、足繁く出かけて行っては二人と時間を過ごす。彼は妻のマオに恋しているが、しかし夫のアンヌのことも好きであり、嫉妬の感情などを抱いたりはしない。彼はいわば現状に満足しているのだが、夫を愛していると信じて疑わなかったマオが、自分がフランソワに恋をしていると気づくことで、事態に変化が生じる。彼女はフランソワの母に手紙を書き、その中で自分の気持ちを打ち明け、二度と自分がフランソワと出会うことのないようにしてほしいと頼む……。

 レーモン・ラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会』、渋谷豊訳、光文社古典新訳文庫、2019年

は、神童と謳われたラディゲが二十歳で腸チフスで亡くなったために、遺作として残された恋愛心理小説であるが、実は死後に出版された初版には、ラディゲの庇護者だったジャン・コクトーらによって大幅に手が入れられていたことが、後に判明する。

部数限定版と比べた場合、初版は全体の分量が一割弱減っていますし、手を加えられた箇所はじつに七〇〇箇所以上、その内、約六〇〇箇所で明らかに「純粋に物理的、文法的な訂正」の域を超えた加筆修正が行われています。(渋谷豊「解説」、264頁)

というから驚きである。帯にある「作家自らの定めた"最終形"からの翻訳」というのは、このコクトーらによる加筆以前の形の翻訳ということで、この版の翻訳は初めてというのにもいささか驚いた。なんと、そうだったのか。

 このあられもない事実が示すのは、つまり、コクトーはラディゲをまだ一人前の自立した作家と認めていなかった、ということだろう。だからといって700箇所も推敲するというのは、オリジナルが尊ばれる現在の風潮からするといかにも傲慢な所作なように思われる。あえて胸の内を推測すれば、コクトーは、愛弟子の「未完成」の作品を「完成」へと導くのが、いわば「保護者」としての自分の責任だと考えたのかもしれない。あるいは、彼とその周囲の者たちは、自分たちの「理想」のラディゲの姿を、この遺作の内に夢み、それを実現しようとしたのだろうか。

 と、死後の加筆修正についても興味は尽きないが、しかし現在の趨勢からすれば、今後『ドルジェル伯』は、この著者自身の残した形で読まれることになるのだろう。

 さて『ドルジェル伯』。『クレーヴの奥方』を下敷きにした高純度の恋愛心理小説であり、実際、ここには情景描写はほとんど存在しないし、ひたすらぷらぷら浮かれ騒いでいるだけの主人公とドルジェル夫妻の存在に、はっきり言ってリアリティーは乏しい。もっと言えば三人の人物造形が、特別にうまくいっているかどうかも疑問に思う。だが、そのあたりに作者の若さが透けて見えると言っても、それは大して批判にならないだろう。というのは、この小説が面白くなるのは、なんといってもマオが自分の恋心を自覚してからの後半部だからである。

 マオの告白を聞いたフランソワの母親は感銘を受けて、あわてて息子に会いに行くが、そこで自分の軽率さに気づいた彼女は、マオの手紙をあっさりと息子に読ませてしまう。マオが来させないでと頼んだ甲斐なく、フランソワはドルジェル伯の家に赴く。ここから先、夜会の場面では、各人の思いがことごとく他人の思惑とすれ違いながら、物事が展開していく。あたかも、人は人の心の内側を絶対に知ることができないかの如くであるが、そこに、静かにも激しいドラマが存在しているのである。表面上は些細な出来事が続く中、とりわけマオの心の中は激しく動揺し、その頂点がナルモフの帽子を巡るエピソードとなる。

そこで彼女は英雄的な行動に打って出た。それは誰もその偉大さに気がつかないだけに、なおさら英雄的な行動だった。人は思い込みに流されがちで、まさかフェルトのチロリヤンハットが一つの悲劇の核になろうとは考えてもみない。だから、こういう行為の偉大さに気がつかないのだ。(226-227頁)

  早熟な青年として、恐らくは人一倍鋭敏な自意識を持ち合わせていただろう作者なればの、繊細にして犀利な心理分析がそこにはある。この後、マオは観念して、自分の恋を夫にも打ち明ける(ここがまさに『クレーヴの奥方』を踏まえているところ)が、そこでも決定的な心理のすれ違いが起こる……。したがってこの後半部の主人公はまさしくマオであって、もはやフランソワではない。この若妻の内面のドラマこそ、この作品で一番成功している部分であろう。

 ラディゲが、かように繊細で七面倒な心理分析を重んじるに至ったのは、彼の周囲を取り巻く社交界というものが、何よりも体面を重んじる場であったからだろう。そこでは外面と内面は一致しない。仮面をかぶったような人の心は容易に窺い知れないが、それでいて、それを洞察することが要求されるような世界。にこやかな笑顔の奥で、心が七転八倒しているような人々の有り様を、ラディゲは見抜いていたのか。あるいは彼自身が誰よりも、そうしたことに苦しんだのだろうか。

 いずれにしても、そうした特殊な世界からこそ生まれえたこの小説が、現代の日本に受け入れられるものだろうか、と疑問に思わないでもない。

 いや、そんなことは杞憂かもしれない。いつの世にあっても、我々は、忖度と邪推の間、思いやりと偽善の間で、いじましくさ迷っているのではないだろうか。いつも人の心を読もうとしながら、読み誤り、思い過しを繰り返す。だとすれば、ラディゲが描いてみせる心の有り様は、今も我々の興味を惹かずにはおかないだろう。明瞭な新訳で蘇った『ドルジェル伯の舞踏会』で、ラディゲを発見する人の多くいることを望みたい。

 

 Vanessa Paradis ヴァネッサ・パラディ、2018年のアルバム Les Sources より、"Ces mots simples"「その単純な言葉」。ルフランがないので、最初の2節を。その単純な言葉は、もちろん "Je t'aime"。

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J'ai quelques mots à te dire

Des mots simples à te dire

   On les entend souvent

Dans les films chez les gens

 

J'ai déjà dit ces mots simples

  En y croyant ou en feinte

   La première fois enfant

A moi-même de temps en temps

("Ces mots simples")

 

あなたに言うべき言葉があるの

あなたに言うべき単純な言葉

それはしばしば耳にする

映画の中で 人々のあいだで

 

その単純な言葉を言ったことがある

それを信じて その振りをして

最初は 子どものときに

自分自身に 時々は

(「その単純な言葉」)

『ノートル=ダム・ド・パリ』/ミレーヌ・ファルメール「涙」

『ノートル=ダム・ド・パリ』表紙

 ユゴーノートル=ダム・ド・パリ』(上下)、辻昶・松下和則訳、岩波文庫、2016年

は、なんとも長い小説だ。1482年1月6日、「らんちき祭り」の日に、パリ裁判所で聖史劇が行われる、というところから始まるのだが、まずこの裁判所の場面(第1編)がやたらに長い。貧乏詩人グランゴワールを狂言回し役に、中世の「民衆」の姿を描いてみせようという作者の意欲は分からないではないが、それがうまくいっているのかどうか、面白いのかどうか、なんとも言葉にしようがない。

 第2編で、グランゴワールは夜の街をさ迷ううちに、物乞いの一団に捕まり、彼らが集う「奇跡御殿」で処刑されそうになるが、踊り子のエスメラルダに助けられ、彼女と形だけの結婚をする。この間に、司教補佐クロード・フロロとカジモドがエスメラルダを攫おうとし、それを射手隊隊長のフェビュスが助け、エスメラルダは彼を恋するようになるというエピソードが語られはするが、主筋と言えるものは、まだそれだけである。

 そして、ここからようやく物語が始まるかと思いきや、第3編は世に名高いノートル=ダムの建築礼賛、さらに当時の街の様子を幻視者のごとく描き出す「パリ鳥瞰」の章であり、著者の蘊蓄がこれでもかとばかりに繰り出される。今どきの読者にとって、ここを乗り越えるのはなかなか大変であるに違いない。

 第4編で、ようやくフロロとカジモドの過去が語られる。第5編では、フロロのもとを客人(実は国王ルイ11世)が訪れ、そこでフロロが「書物が建物を滅ぼすだろう」という謎めいた言葉を述べる。すると、すかさず作者自身によって、この言葉についての講釈がひとしきり述べられる。第6編では「おこもりさん」の話が語られ、彼女は最終的に重要な役割を果たすことになるが、この時点ではそれはよく分からない。そしてカジモドがさらし台で刑を受け、彼にエスメラルダが憐れみをかける場面(そのためにカジモドは彼女を愛するようになる)で終わるのだが、ここまででやっと上巻が終わる。469頁。

 フロロ、カジモド、エスメラルダ、フェビュスの四者の物語がこの作品の「主筋」であるとすれば、いわば上巻ぜんぶを使ってようやく舞台設定が整うわけで、主筋は下巻から始まるようなものだと言えよう。

 とはいえ、下巻に入るとさすがに物語は激しく動き出す。第7編では、フェビュスとエスメラルダが逢引きをすることになり、その様子を窺っていたフロロが、嫉妬を爆発させてフェビュスを刺して逃亡する。第8編、牢屋の中で彼がエスメラルダに愛の苦しみを打ち明ける場面、また、拷問によって罪を白状させられたエスメラルダが、処刑場へ向かう直前、カジモドが彼女をさらって「避難所」ノートル=ダムに匿う場面(第8編)は圧巻だ。そのエスメラルダを、もはや半狂乱のフロロが襲う場面(第9編)も強烈であり、そしてクライマックス、クロパンらごろつきの一団がエスメラルダ略奪のためにノートル=ダムを襲撃し、カジモドが一人で獅子奮迅の活躍をする場面(第10編)は、実に映画的とも言える迫力ある情景だ(途中の国王の場面が冗長ではあるが、これは意図的なサスペンスと取るべきか)。そして結末へと向かう第11編まで、激しいドラマが繰り広げられる様はさすがであり、大いに読み応えがある。

 およそユゴーの世界にあっては、ニュアンスとか抑制とかいったものは存在しない。すべては最上級、極限の情念の大奔流である。ここに繰り広げられているのは、いわば紙上のオペラ、言葉だけのミュージカルのようなものだ。フロロも、カジモドも、それぞれに胸から迸り出るアリアを絶唱しているのだと思えば、あの長台詞も納得がいく。オペラやミュージカルは、その極端な性質ゆえに万人受けするジャンルとは言い難いが、その点もユゴーの小説に当てはまるかもしれない。『ノートル=ダム・ド・パリ』も『レ・ミゼラブル』も、そもそも作者が脚本からすべての配役までをこなす一人オペラであれば、それが映画、ミュージカル、アニメに繰り返し翻案されてきたことも、いわば当然のことと言えるだろうか。

 この小説のもたらした反響の結果、19世紀初頭には荒廃していたノートル=ダム大聖堂は、ヴィオレ・ル・デュクらによって修復されることになった、と、ノートル=ダムが火事にあったあの日、フランスのテレビでは繰り返し語られていた。また、その後、ユゴーのこの小説がよく売れているというニュースも聞いた。

 大文字の歴史にまさしく自らの名を刻みこみ、200年近く経った後にも、繰り返しその名が呼び返される、という事実こそが、なによりユゴーの破格の天才ぶりを語っているように思われたことだった。

 

Mylène Farmer ミレーヌ・ファルメールの"Des larmes" 「涙」。

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Des larmes, des larmes, des larmes, des larmes

De peine, de joie sur mes joues, là

Sillonnent, sillonnent, sillonnent

Des larmes, des larmes, des larmes, à quoi

À quoi bon vivre si t'es pas là ?

Je m'isole, m'isole, m'isole

("Des larmes")

 

涙、涙、涙、涙

痛みの、喜びの、私の頬に

筋を残す、残す、残す

涙、涙、涙、何に

生きて何になるの、あなたがいないなら?

私はひとり、ひとり、ひとり

(「涙」) 

『フランスの歌いつがれる子ども歌』/「みどりのネズミ」

『フランスの歌いつがれる子ども歌』

 書店で偶然出会った本。

 石澤小枝子、高岡厚子、竹田順子『フランスの歌いつがれる子ども歌』、大阪大学出版会、2018年

 タイトル通り、フランス語の子どもの歌の、楽譜、歌詞(仏日)、それに解説をセットにして、全40曲で構成されている。ブーテ・ド・モンヴェルらの挿絵もとても愛らしく、これまで類書がなかっただけに、これは嬉しい出版でありました。

 全体は9つのセクションに区切られており、「子守歌」「歌いながら遊ぶ歌」「子どもも歌う恋の歌」「怖い歌」「おもしろおかしい歌」「戦いの歌」「ワインの歌」「クリスマスの歌」「あの歌は実はフランスの歌だった」となっている。なんのことはない、「子ども」の歌に歌われているものの実際は、恋あり、酒あり、戦ありと、大人の世界の一切に他ならないという訳だ。私は職業がら、こうした歌をわりと聞いてきたほうだと思うのだけれど、それでも知らなかった歌がいろいろとあり、教えられることも多かった。

 今どき、インターネット上には、画像付き、歌詞付きの動画が溢れているから、実際に音を聞いてみることも簡単にできる。なんといっても、正確な発音と音節に慣れるのに子どもの歌は最適だと思う(文法的に簡単かというと、それは必ずしもそうではない)。フランス語学習者の方にお勧めしたい一冊です。

 

 私のお気に入りの一曲は「みどりのネズミ」(91-93頁)。まったく意味が分からないんだけど、これはただのナンセンスということでいいのだろうか? いろいろある動画の一つを拝借。

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Une souris verte

Qui courait dans l’herbe,

Je l’attrape par la queue

Je la montre à ces messieurs

Ces messieurs me disent

« Trempez-la dans l’huile

Trempez-la dans l’eau,

ça fera un escargot tout chaud. »

 

Je la mets dans un tiroir

Ell' me dit qu'il fait trop noir.

Je la mets dans mon chapeau

Ell' me dit qu'il fait trop chaud.

("Une souris verte")

 

みどりのネズミが

草むらを走っていた

ぼくは尻尾を捕まえて

おじさんたちにみせた

おじさんたちは言った

油で揚げてごらん

お水につけてごらん

熱々のエスカルゴができるだろう

 

ぼくがネズミを引き出しの中に入れると

ネズミは暗すぎると言う

帽子の中に入れると

暑すぎると言う

(「みどりのネズミ」高岡厚子訳)

『いまこそ、希望を』/ヴィアネ「ヴェロニカ」

『いまこそ、希望を』

 初めにお断りしておけば、以下はまったく門外漢の個人的感想です。

 ジャン=ポール・サルトル、ベニイ・レヴィ『いまこそ、希望を』、海老坂武訳、光文社古典新訳文庫、2019年

 サルトルは晩年、失明し、自身の手による執筆が不可能になった。そこで秘書を務めるベニイ・レヴィイとの対談を通して、共同で「倫理」に関する論考を執筆することを計画していた。本書は、1980年に雑誌に掲載された二人による対談であるが、発表直後にサルトルは亡くなる。結果として、ここに語られた言葉は彼の「遺言」とも呼べるものになった。

 あくまで私の理解した範囲で、サルトルの言っていること(の一部)を要約してみれば、おおよそ以下のようになる。

 人間は、その定義において共同で生きる存在であり、そうである以上、そこには「倫理」があり(「倫理なるものが本当に他者との関係における人間たちの生き方に過ぎなくなる瞬間を、見いだすということ」(118頁))、そして「友愛」がなければならない。

社会というものを、政治よりもいっそう根本的な人間相互の絆から生ずるものとみなすなら、そのときは、人々は友愛(兄弟愛)関係というある種の根本的な関係を持っているに違いないし、持ちうるし、持っている、とわたしは考える。

サルトル・レヴィ『いまこそ、希望を』、海老坂武訳、光文社古典新訳文庫、2019年、82頁)

 しかるに、問題は、我々は、まだその定義にふさわしい「人間」になってはいないということにある(「われわれは、人間として共に生きることを求め、人間になることを求めているのだ」(45頁))。とはいえ、人間性は、いまだ人間以前である我々の内に萌芽として存在している。だから「友愛」を、「倫理」を、言葉によって明らかにしなければならず、その先に「希望」があるはずだ(この対談は「希望」についての話から始まり、「希望」を語って閉じられる)。本当は、もっと具体的な政治の話、あるいはユダヤ人について色々と語られているのだけれど、そうした部分は手に余るので割愛。

 こうしてみると、サルトルマルクスの思想はある一点で共通していると言えるかもしれない。つまり「革命」を実現させるためには、人間性そのものが変革されなければいけない、と考える点において。そして、そのいかにも実現不可能な事象の実現を未来に託すというポジティブな姿勢において。

 ところで、私の敬愛するフロベールモーパッサン系統(お好みであれば、ショーペンハウアーの名を加えてもよい)においては、人間は「永遠に愚かで、永遠に悲惨」である、という考えが根本認識にある。そうである以上、未来における変革などは考えられないだろう。このような見方は確かに身も蓋もないけれど、それによって、人生を生きてゆく上での一つの支えのようなものは得られる(腹をくくるとでも言いましょうか)、と私は思ってきたし、今も思っている。そうではあるけれど、しかしまあ、それで元気が出るかと言われれば、そこのところは、なんとも言いがたい。

 つまるところ、現状のままでは駄目だという認識において、あるいはマルクスサルトル系統(は、どこに続くのか?)も、根本的なところでは同じと言えるのかもしれないけれど、何はともあれ、読んでいて元気が出るのは、明らかにマルクス(類的人間)、サルトル(全体的人間)の側であるに違いない。そこに、孤独を好む文学者と、社会に目を向ける活動家との、根本的な姿勢の相違のようなものを感じずにはいられない。

 私には、サルトルの晩年の思想が、哲学史において、あるいは今日において、どのような価値を持つのか判定できないし、そうしようとする気もさらさらない。ただ、未来が混沌として不透明で(いつの時代もそうであるに違いないけれど)、希望を持つことが難しいと思われる、この21世紀初頭の日本において、75歳にして最後まで「希望」を語ろうとしつづけたサルトルの姿勢には、なんだか眩いものを感じてしまう。

 正直に言えば、それは現実から切り離された老人の妄想の類ではなかったかと、思わないわけではない。それでもしかし、一世を風靡した哲学者が、最後に残した「希望」の言葉を切り捨てて、退けてしまうことには、少なくともためらいを覚える。

 そして、そのためらいの内に、自分がまだ希望を捨てていないことを知らされるように思うのだ。

 

 Vianney ヴィアネのアルバム『君へのラヴソング』より、"Veronica"「ヴェロニカ」。

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Parmi ceux qui crient

Qui t'embrassent

Et t'acclament

Il y a celui qui

Rêvasse et qui s'acharne

Dans tes duos, ce gars

Je veux que ce soit moi...

 

Veronica

("Veronica")

 

声をあげて

君にキスを送って

喝采する奴らには

こんなのもいる

夢見てる奴、妄想する奴

君とデュエットしてる、あいつ

ぼくがあいつだったらいいのに……

 

ヴェロニカ

(「ヴェロニカ」翻訳:丸山有美)

『ソヴィエト旅行記』/ヴィアネ「大きらい」

『ソヴィエト旅行記』


 こんな本まで出るとは、いったい今はいつなんだろう、という不思議な気分を抱きながら本書を手に取った。

 ジッド『ソヴィエト旅行記』、國分俊宏訳、光文社古典新訳文庫、2019年

 1936年、66歳になるジッドは2ヶ月かけてソヴィエトを旅行し、帰国後に『旅行記』を発表、スターリン体制への批判を表明した。これがフランスの、特に左翼陣営から批判を浴びることになり、翌年、ジッドは『ソヴィエト旅行記修正』において、批判に対する反論を行う。本書は、この両作品を合わせた新訳である。

 旅立つ以前のジッドはソヴィエトに対して大きな希望を抱いていたが、実際に現地を見て回る中で、その期待は失望へと変わる。極度の貧困があちこちに見られること。共産主義の理念にもかかわらず、明らかに貧富、階級の差が存在していること。人民は実情を知らされず、自分たちが一番だという自己満足に浸っていること。コンフォルミスム(順応主義)がはびこり、誰も体制に対して批判ができないこと。つまりはスターリン一人の独裁国家であること……。

今、為政者たちが人々に求めているのは、おとなしく受け入れることであり、順応主義である。彼らが望み、要求しているのは、ソ連で起きていることのすべてを称賛することである。彼らが獲得しようとしているのは、この称賛が嫌々ながらではなく、心からの、いやもっと言えば熱狂的なものであることである。そして最も驚くべきは、それが見事に達成されているということなのだ。しかしその一方で、どんな小さな抗議、どんな小さな批判も重い処罰を受けるかもしれず、それに、たちまち封じ込められてしまう。今日、ほかのどんな国でも――ヒトラーのドイツでさえ――このソ連以上に精神が自由でなく、ねじ曲げられ、恐怖に怯え、隷属させられている国はないのではないかと思う。

(ジッド『ソヴィエト紀行』、國分俊宏訳、光文社古典新訳文庫、2019年、85頁) 

  ジッドの口調は決して激しいものではなく、むしろ慇懃に言葉を尽くして語っているという印象である。彼がここに述べていることは、こんにち我々がソ連に対して抱いている一般的なイメージとほとんど相違がないように見えるし、だから、その批判はしごく真っ当で、常識的であるように思える。

 にもかかわらず、発表当時、多くの人がジッドを裏切り者として「罵倒」した。なかでもロマン・ロランからの「悪罵」(160頁)はこたえたと、『修正』の冒頭に書かれているが、そうした歴史的事実のほうに、むしろ、今の読者は驚かされるのではないだろうか。

 ロシア革命以降、ヨーロッパにおける左翼の人々にとって、ソヴィエト連邦は、人類の理想が今や実現せんとしている憧れの国だったし、20年代から30年代には、実際に共産党に入党する芸術家も少なくなかった。それは歴史的事実であるのだが、今となっては、そうした事情を実感をともなって理解することはなかなか難しい。なぜそんなことが素朴に(としか見えない仕方で)信じられたのか、と疑問に思われて仕方ないのだ。

 その意味で、こんにち本書を読むということは、この作品が書かれた背景込みで、20世紀前半という時代を振り返ることを意味するだろう。訳者による丁寧な「まえがき」と「解説」および「あとがき」は、そのために不可欠といってよいものであり、とても貴重である。そのお蔭で、1930年代という時代の「空気」を感じ取ることができるように思う。

 ソ連への旅行は最上級の接待旅行であり、行く先々で歓迎され、すべての費用はソ連持ちで、あちこちで豪勢な宴会が開かれたということを、ジッドは『修正』において打ち明けている。にもかかわらず、歯に衣着せずに率直にソ連の実情を描いてみせた彼の姿勢は、なんと言っても称賛に値するだろう。彼はイデオロギー固執することがなかった。特定の党派に肩入れせずに、自身の独立独歩の立場を貫いたのだ。

 私にとって何よりも優先されるべき党など存在しない。どんな党であれ、私は党そのものよりも真実の方を好む。少しでも嘘が入り込んでくると、私は居心地が悪くなる。私の役目はその嘘を告発することだ。私はいつも真実の側につく。もし党が真実から離れるのなら、私もまた同時に党から離れる。

(同前、243頁) 

  思想よりも人の側に、強者よりも弱者の側につく、その揺るぎない姿勢のゆえに、ジッドは誠実な文学者であり、そして正当な人文主義者でありえている。そのように言ってよいだろう。16世紀、人文主義の祖エラスムスは、寛容の姿勢を貫くことにより、カトリックからもプロテスタントからも批判された。ジッドもまた、『コンゴ紀行』における植民地主義批判によって右から、ソ連批判によって左から攻撃された。人文主義者は多くの者から煙たがられる宿命にあり、彼の声は、その時代にあっては必ずしも大きな力を持たないかもしれない。

 だがそれでも、時代を超えて耳を傾ける価値があるのは、彼の言葉のほうなのだ。『ソヴィエト旅行記』の新訳は、だから出るべくして世に出たのだと、おのれの不明を恥じつつ、そのように言いたい。

 私はジッドは大の苦手であり、彼の小説を読み返す気はさらさらない。それでも、『ソヴィエト旅行記』は読んでよかったと率直に思うし、作家の真摯な姿勢に、静かに敬意を払いたいと思う。

 

 ふと思い出したように Vianney ヴィアネを聴く。2014年の "Je te déteste"「大きらい」。

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 Quand j'y pense

Rien ne la panse

La béance que tu as laissée

C'est vrai que quand j'y pense

Faut que j'avance

La séance est terminée je sais, alors...

 

Alors je laisse aller les doigts sur mon clavier

Je viens gifler mes cordes plutôt que ton fessier

Je crie de tout mon être sur un morceau de bois

Plutôt que dans tes oreilles qui n'écoutent que toi

D E T E S T E, je te déteste

D E T E S T E

("Je te déteste")

 

考えてるときは

手の施しようがない

君が残したぽっかり風穴

そうだ、考えてるときこそ

前に進まなきゃ

堂々巡りは終わり、だよね……

 

おもむくまま鍵盤に指を走らせればいい

和音を叩く、君のお尻を叩く代わりに

木っぱにぼくのすべてをのせて叫ぶんだ

自分のことしか聞いてない君の耳に向かって叫ぶ代わりに

ダイキライ、君なんか大きらい

ダイキライ

(「大きらい」翻訳:丸山有美)