えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

春の夜に

Par un soir de printemps, 1881
「春」つながりで。初出はゴーロワ5月7日で、ちと早いけど。
女の一生』は一読、短編のつなぎ合わせのような印象を受ける
けれど、事実は逆で、モーパッサンは書き上げた長編を
「切り売り」して短編に仕上げた。本編もその一つ。4章のはじめ
リゾンおばさんのエピソードをリライトしたもの。
話の流れは基本的に同じだけれど細部が微妙に違う。
ジュリヤンの代わりにジャックで、ジャンヌ(はそのまま)とはいとこ同士。
ジャンヌの両親にかわって、二人の母親(姉妹)であり、
姉妹の三人目が「リゾンおば」という設定。
こういう「みじめな人物」を書かせたらモーパッサンは一級だと思う。
結婚せず子どもを持たず、仕事もしていない女性は社会的に存在しないも等しい
(あくまで当時の話である)というのが、モーパッサンの残酷な「観察」の語ること。
読み比べると長編の方が、周囲の人物の無関心さを強調していてより残酷な
感じがする。ジュリヤンはたいがいだが、ジャンヌも結構ひどい。
短編は彼らのリアクションをすっかり省いた点で、焦点がリゾンにくっきり
あてられることになる。

「それは・・・それは・・・、彼がお前に言ったでしょう。「君の可愛いあんよが冷たくはないかい?」って。私は一度も、一度もそんなことを言われたことがないのよ、私は!・・・一度も、一度も!」(プレイヤッド1巻313ページ。拙訳)


これが結末。これについてどう考えるかは皆さん次第ですよ。と作者は投げ出すばかり。
滑稽といえば滑稽だ。でも切ないといえば、とても切ない。人生に取り返しはきかないから。
漱石せんせいなら同情がないと怒るかもしれない。でも「言わない」からこそ
伝わるもの、というのも確かにある。私は、そう思う。