えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

車内にて

En wagon, 1885
今日は初出日で選んでみる。3月24日ジル・ブラース。でも中身は
ヴァカンス直前、7月頃の話だった。モーパッサンとてもいつも時節ものを
書いてるわけではなかったね。
オーヴェルニュの奥方の命を受けて、休暇に入る寄宿学校の生徒をパリまで迎えに行く若い神父の話。
三人の子どもと一緒に列車に乗ると、居合わせたのは若いご婦人。都合8時間の長旅のうちに彼女が
産気づいてしまい、神父が大慌てで出産を助ける、という顛末。「三人を連れて帰りに出かけて行って、
実際に連れて帰って来たのは四人でした」というなんともお馬鹿なお話。純真なお子様たちには見せられない
から、君たちはドアから頭を出して、ぜったいこっちを見ないように!というのがおかしい。

「ド・ヴォラセール君、君は「反抗する」という動詞の書き取り20回ですよ!」と彼は叫んだ。
「ブリドワ君、君は一か月デザート取り上げです。」(プレイヤッド2巻482ページ)


夕食時、なんとなく気づまりな雰囲気の中、最年少のロランが尋ねる。「ねえママン、神父さまはあの子をどこで見つけたの?」「黙って食べなさい。」「お腹がいたいっていうおばさんしかいなかったよ。きっと神父さまは手品師なんだね。」「お黙りなさい、他の子と同じように、キャベツの中から生まれたのよ。」「でもキャベツなんかなかったよ。」

その時、意地悪そうに聞いていたゴントラン・ド・ヴォラセールが笑いながら言った。
「いや、キャベツはあったのさ。もっとも、それを見たのは神父さんだけだけどね。」(484ページ)


とまあ、これも要するには艶笑譚である。真顔で語るのもあほらしいが、そこはプレイヤッドの注釈者
ルイ・フォレスチエはうまくまとめてみせる。

この最後の言葉がテクストを真の次元に運ぶ。すなわちきわどい冗談ではなく、青少年の教育についての反省なのである。作家は自己の態度を表明してはいない。−ニヒリスムが勝利しているのだ。自己の判断を留保することで、自然主義的な事実を他者の判断に委ねるだけでよしとするのである。(1464ページ)

女の一生』は典型だけれども、教会系の寄宿学校ともなれば性教育などあったはずもなく、モーパッサンが現にこういう話を書く以上、こういう状況が実際にありえたし、またあったのだろう。ま、今だってないとはいえない。というわけで、
モーパッサンの艶笑譚は多くの場合、道徳とはそもなんぞや、という問いを内包するのである。真面目な顔で言いますけどね。
が、辛気臭くなってもしょうがない。こういう脱力系話を書かせたら、これまたモーパッサン
一流だな、と思うのである。
だからこそ、モーパッサンはやめられないんだな。