えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

聖骨

La Relique, 1882
同じく英訳本を見ながら、そうそうこんなのあったよな、と思った一作。
10月17日付ジル・ブラース紙、『マドモワゼル・フィフィ』2版収録。
医師アンリ・ポンタル Henri Pontal から神父ルイ・デヌマール Louis d'Ennemare に宛てた手紙。
熱狂的な信心家の婚約者へのお土産にと、うさんくさい商人から聖遺物を買い取る。
小さすぎて無くしてしまうが、どうせ偽物だからと適当なものですり替えて渡す。
本物なのかと疑う彼女に「もちろん」と請け負った彼は、そのまま成り行きで
教会から聖骨を盗み出したと嘘をつくと、彼女すっかりは大喜び。

次の点に注意してくれたまえ。僕は彼女のためにという理由で冒涜を働いた。僕は盗みをやったんだよ。僕は教会を汚し、聖遺物箱を汚した。神聖なる聖遺物を汚して盗んだんだ。それがために彼女は僕を熱愛するのさ。僕のことを優しく、完璧で、神のようだと思っている。これが女性というものさ、親愛なる神父君、まったくの女ってものだよ。(1巻592ページ)


しばらくはうまくいくが、まあ嘘はばれるものと相場が決まっている。
真実に気付いて激怒した彼女は婚約もとりやめにしてしまう。
許してもらう条件は、本物の聖遺物を持ってくること。

どこかの偉い坊様か、せめて誰かフランス人の坊さんで、聖女の遺物を持っている人に紹介してもらえないだろうか? 君自身、君のコレクションの中に問題の貴重な品を持ってないかな?
 助けてくれ、我が親愛なる神父殿。そうしたら十年早く改宗することを約束するよ!(593ページ)


そんなアホな話あるもんかいな、ということで「車内にて」系の笑い話。
「嘘つき男」アンリ君もさることながら、婚約者ジルベルトちゃんもたいがい滑稽なところが
ミソってもんでしょうか。「聖遺物持ってこい」というのはあんまり無茶な話である。
ところでアンリ君の言い分は次のようなもので、一般論として語られる。

 君はジルベルトを知っている、いやむしろ知っていると信じている。だが女性のことが分かったりするものだろうか? 彼女たちの意見、信仰、考えときたら驚くべきものだ。なにもかも持って回って、行ったり来たり、思いもかけないもので、理解できないような理屈、さかさまの論理、きわめつけの強情ぶりかと思えば、小鳥が窓枠に飛んできたってのが理由で譲ってみるという始末さ。(589ページ)


このあたりに「女性性に対する徐々に深まってゆく悲観的な概念」(1470ページ)をフォレスチエ先生は読み取っている。
ところで、読んでいて訳すのがむずかしいなあ、と思うのは
"Je vous embrasserai", "Comme je vous aime !"
なんていうような、フランス語的にはなんでもない表現だったりする。
田辺貞之助訳ではそれぞれ「キスしたげるわ」「あなた、好き!」(春陽堂全集2巻)である。
村上春樹いわく翻訳には賞味期限があるとのことだが、そういう問題であるような、そうではなく
根本的に習慣の違いが理由のような、いずれにしろ難しい。


もう一つ記しておきたいこと。
新聞初出の際には末尾に Pour copie : MAUFRIGNEUSE. と記されていること。
正式にはPour copie conforme で、「原本と相違ないことを証明する」である。モーフリニューズ
はジル・ブラース用のモーパッサンペンネーム(バルザックの登場人物)。同種の記述は
書簡形式の他の短編にもみられ、一種のお約束となっている。ちなみに
単行本に収録される際にはきまって削除される。これは何なのか。
もちろん「本当らしさ」を装う古典的な仕掛け、ではある。ただ世紀末の新聞紙上では
フィクションとノンフィクションの間に形式上の相違が無かった。「今日の小説」とか
「創作欄」とかまったく書かれず、社説、時評文、三面記事と並んで「聖骨」の見出し、
以下全文手紙、末尾に「原本と異同なし:モーフリニューズ」、以上、はい次の記事、である。
その時、読者はこれをどのように読んだのか。そのリアルな実感は推測することしか
できないものだけれど、はじめっから分り切って「小説」を読む、というのとは多かれ
少なかれ事情が違ったのは間違いない。
もちろん内容を読めば、普通の読者ならそれが「ほら話」であることを理解するだろう。
しかし新聞は黙して何も語らない。だからこれが「ほら話」であることは、作者と読者の
暗黙のお約束によって(のみ)成立する事柄であり、そこでは読者はある種の「読解力」を要求されている。
(全部を「真面目」にとったら「頭が固い」ということになる。)
モーパッサンの多くの短編はそのような読書の条件を明確に意識した上で書かれている。
そのことはモーパッサンを読む上でとても大事なことだと、常々思っている。