えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

絵画について

「文学」はやや苦しいか。いやそうでもあるまい。
ディドロ『絵画について』佐々木健一訳、岩波文庫(青帯)2005年。
こういうテクストを訳すことには意味があって、
こういうテクストを訳す人の存在も大切であるということ
を信じること。その信念を貫くこと。
でも本当は、西洋美学の基本たるテクストを訳すなんて当たり前にすぎること
と言い切るべきであろう。
以下、19世紀フランス文学愛好家による素人感想。
芸術は自然の模倣である、というアリストテレス直結の古典主義理念から
現代レアリスムにストライクに到達している、という点にはやはり
素直に感動させられる。クールベより半世紀以上も優に早くに。
しかも第三章の明暗法においては、時間による光の変化にまで注目していて
ほとんど印象派の先取りの感がある。さらに、あくまでも
モーパッサンに引きつけて論じる当ブログの趣旨に添わせれば、次の箇所など
も興味が尽きない。

文学者がその作品の中に自己を現すのと同じように、更にはそれ以上に画家もその作品の中に自己を現す、このことはしかと信じてもらいたい。(28ページ)

レアリスムを突き詰めればいつだってヴィジョンの問題に行き着く。
だから「主観」なのだ、とはディドロは言っていない。
しかし彼の議論の射程は確かに19世紀末にまで届くものだろう。
当代一流の画家から直接教えを受けていたにせよ、
彼が絵画を学んだのは隔年のサロン(官展)を通してであり、
にもかかわらずアカデミスム(マニエリスム)に染まらずに
これを批判できたという点も、さすがは哲学者の面目躍如というところだろうか。
もっともこと主題に関しては、真善美が一体であるべきと主張している。
そこはあくまで古典主義であることは、よくよく留意するべきだろう。
本当はディドロの思想は「自然の美」と「芸術の美」とは同一ではない
というところからさらに先に進展するもののようだけれど、そのあたりは
この書だけからははっきりとは分からない。
なんにしても、ディドロはえらい。という当たり前の結論であった。