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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

春水とモーパッサン

荷風

永井荷風について読んでいると、よくお目にかかるのが
「春水とモーパッサンの合の子」という言葉である。荷風が自身の文学を指して
言ったとのことで、出所は佐藤春夫らしいが、必ず皆さん出典を明記でない。
ので佐藤春夫全集をぱらぱら眺めてみた次第。以下とりあえずの報告。
新しい順に行こう。
まず『小説永井荷風伝』は1960年に書かれた。臨川書店、全集16巻から引用。
第四章「荷風文学の根源」より。

 荷風の当年の行状から察して、また幾許もなくゾラからモウパッサンに転じて「春水とモウパッサンの合の子のやうな文学」と自ら解説する文学に安住した事実などに鑑みて、わたくしは荷風が最初にゾラに食ひついたのをその経世的文学傾向によるとはせずに新風の好色文学をそこに発見したものと解する方が自然なやうに思はれる。さう解しなければモウパッサンはゾラの代用にはならないからである。(300ページ)

なるほど、これか。と思うのだけれど、そこで油断してはいけない。
次は「永井荷風」。1946年『展望』連載後、『荷風雑観』1947年に収録。全集23巻。

先年、荷風は筆者のために自己の小説を説いて「自分の作品は春水とモウパッサンとの奇妙な合の子のやうなもの」と解説、示教されたものであつた。(33ページ)

うーむ。そういえば「奇妙な」を足して引用している人もあったような気がする。
ちなみにこの表現はもう一度出てくる。

 荷風の胸裡に萌した芸術革命は往年の新梅暦の作者をして「春水とモウパッサンとの奇妙な合の子」たらしめた。このふた親の面影を等分にそなへた作品として自分は「あめりか物語」中の「長髪」後年の「風邪ごゝち」「雪解」「あぢさゐ」などをすぐ思ひ浮べる事が出来る。(37ページ)

ふむふむ、と思うが「先年」の言葉がどうも気にかかる。これより前にも出てくるのではと思わせる。
そこで『永井荷風読本』1936年だ。荷風アンソロジーの編者として佐藤春夫は直接先生のご意見も伺い、
荷風作品の合間にどれを「抜く」かで逡巡しまくった様が一々綴られている変な文章である。
そしてその最初に次のような文が見える。全集35巻。

 当日先生は先生の文学を味ふために幾多の示唆―といふよりも言言皆それであるもの―を与へられた。当日の記は別に起草中であるが今は間に合ひ兼ねるからここには録しない。就中、先生は御自身の文学を指して「言はばモウパッサンと江戸本来の人情本との奇妙な合流」の一語を以て自ら解かれたのは紫電一閃して、万目為めに耀やかに、闇黒に呑吐され尽してゐた者のために一路を指針したかの観があつた。(317ページ)

なかなか仰々しい文で、愛弟子ぶりがよく分かるのだけれど、なんと春水は出てこない!
ページをめくるともう一回、微妙に形を変えて綴られている。外遊時代にいかにフランス文学
接するようになったかを荷風が述べたくだり。

「つまりモウパッサンと在来の人情本との妙な合流見たいなもの」と先生が御自身の文学を解説されたのはこれ等の話題の間に於てであつた。(320ページ)

うーむ。この言葉は後にも出てくるけれど、「モウパッサンと人情本との奇妙な合流」(326、342ページ)で統一されている。
なんにせよ、ここには為永春水の名も「合の子」の言葉も出てはこないのである。
なるほど、なるほど。
時期から考えて「モウパッサンと人情本との奇妙な合流」というのが、荷風自身の言に一番近いのだろう、と推察されるけれど、ま、どこまで正確は微妙なところであろう。
1946年においては、まず春水の話をした後に、先の表現が出てくるところから、「春水とモーパッサン」ということになったのだろう。すでに10年前のことだから、それぐらいのことはあっておかしくない。
で、「モウパッサンと人情本との奇妙な合流」よりも「春水とモウパッサンとの(奇妙な)合の子」のほうがずっと明解だし記憶にも残りやすい。後の批評家の引用もその辺の理由によるようだ。
為永春水って誰ですか、というような浅学な身にとってはどちらでも変わらない
ようなものだけれど、しかしまあ、大体の事情はこれで分かったようである。
昭和11(1936)年の時点で荷風の口からそんな風にモーパッサンの名が挙がっていることが興味深く、
これは確かに貴重な証言というものだ。
で、この言葉をどのように解釈するかこそがそもそもの問題なのだけれど、
今日はとりあえず以上の報告だけで済ませることにする。