えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ナナと腕くらべ

MLAでNagai Kafuと検索すると、フランス語の論文は多分、一件だけみつかる。
読んでみたので記しておこう。
Gérard SIARY, "La représentation de la courtisane dans Nana d'Emile Zola et Udekurabe de Nagai Kafû", in Japon pluriel, actes du premier colloque de la Société française des études japonaises, publiés sous la direction de Patrick Beillevaire et Anne Gossot, Picquier, 1995, p. 445-451.
今時の標準的比較文学の論文というところ。娼婦の社会遍歴の過程、
娼婦と快楽との関係、および娼婦の表象の背後に見られるイデオロギーの三点を比較したもの。
比べてみると同じ「娼婦」を表象していながらもこんなにも違うもんなのね、という
のがありありと再確認できる、ということが基本的要点。
ゾラが娼婦を「悪の象徴」とする、とっても道徳的観点に立つ一方、
荷風花柳界を「生存競争の場」と見る「ダーウィニズム」的視点に依っている、と。
個人的には間にモーパッサン『脂肪の塊』でも挟んでもらえると、
荷風の資質がどちらよりかは一目瞭然、
と言いたいところだけれど、まあゾラの個性があまりに強烈すぎる
ということでもある。


日本において荷風とゾラを論じると、どうしても「ゾライズム」なる
それ自体なんだかよく分からないものがついて回るところを、
こういう純比較文学的視点はさらりと回避してくれるところが
新鮮というところか。(多分)言うまでもなく、「ゾライズム」とはそれ自体、
「模倣」とか「影響」の意味合いの濃い概念だ。実際せっせと「模倣」に
専念した時代だったのだから別にいいのだけれど、しかしゾライズムは
はっきり言ってゾラ本人とほとんど関係を持たない(変な話だ)、純日本的特殊概念だ。
こいつにひっかかると、荷風がゾラから摂取したものを正確に測定することは
(ただでさえ難題なのに)余計に困難になりかねない
ということは、多分あると思うんだけど、どうだろう。
ところで花柳界はフランス語で
le monde des Saules et des Fleurs(柳と花の世界)と訳すらしい。
そのまんまなのね。