えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

吉田精一のおさらい

せっかくなので
吉田精一永井荷風』、『吉田精一著作集』5巻、桜楓社、1979年
のおさらい。
まず『あめりか物語』について。

作者の虚無絶望の気持は、かような社会の消息を語るにふさわしく、時に必要以上に感傷に流れ、主観的な色彩で染め上げているけれども、それがまたこの散文的な題材をうるおす脈々たる詩情となっている。様式や素材の上にはモオパッサンの感化が感ぜられるものが多い。(47ページ)


もひとつ(ふたつ)はこれ。

「新橋夜話」はモオパッサン風の眼をもって人情本風の題材を描いた花柳小説であり(後略)
(82ページ)


観照や手法においては、フランスの自然派仕込みで、ことにモオパッサンのそれを思わせるところが多い。
(84ページ)

たぶんだけど、彼の見解がその後の論者にも引き継がれる、という意味で基本的なもの。
ただ残念ながら吉田精一はあまりモーパッサンについて深く突っ込んでいない。
「感化」とか「モオパッサン風」というのでは、印象批評の域を出ていない。
だから?「おかめ笹」については、こうなる。

荷風はこの小説において、一にはブルジョアの家庭の内幕を解剖し、その欺瞞と腐敗をむきだしにしている。一方では大正期の低級なドミ・モンドの風俗や生活の表裏を痛烈に描破しつくしている。(中略)日本における真の意味のゾラ風な自然主義の作品としてほとんど唯一のものというべく、そうしたものとして、みごとに成功している。日本流の自然主義にくらべれば、何としても面白くこしらえすぎているところがあり、偶然が多すぎて、手順がうまくはこびすぎるような点があるけれども、スケールの大小は別として、もっとも本格的な自然主義の作品は、こういうものである。
(122ページ)

ここはゾラなのである。分かるような分からないような、分からない話だと思う。


下って今度は「踊子」。

この作品などは、もっともモオパッサン流の自然主義の正道をいった作品だと思われるが、最後のこの詠嘆は、モオパッサンならはぶいて、もっと残酷につっ放したままに終らせたかも知れない。
(191ページ)

短編集『勲章』に「モオパッサンのかげが濃い」(197ページ)も以後の定説で、

「羊羹」以下の諸短編は、モオパッサンの骨法をもって終戦後の世相を描いたものであって、西洋ことにフランス自然主義の手法をこなしきり、近代の短篇が如何なるものであるかを示した典型というべきであろう。とりたてて構えず作らないながら、現実の一片を拾って来て、軽くふれているようで実は深くこまかく人間生活の種々な姿や味わいを映し出すことに成功した。
(199ページ)

この辺まで来ると断定が過ぎて異論を差し挟みたくもなるけれど、今はおいておく。
ずっと下って

性的な感情と心理については、モオパッサン=ゾラ仕込みの鋭い分析と解釈がある。
(234ページ)

という表現がみられる。モーパッサン=ゾラは簡略化しすぎというものかと。
で、「永井荷風文学史的位置」まで来る。

 荷風は日本の自然主義とは対立した。しかし彼ほど、ゾラやモオパッサンを味読し、心読した末に、それを翻訳的にではなく、日本の風土、人情に即して、みごとに生かした作家は他に例がない。
(249ページ)

そして最後に。

 彼の小説のがらは、春水等の人情本の生地に、ゾラ、モオパッサン等フランス自然主義の模様を染め上げ、レニエ、シュニッツラアなどの金糸銀糸の綴箔を添えたもので、近代文学史上での珍というにちがいはない。第一流の文学という点からはいさゝか申し分があるけれども、日本の近代という背景にたゝずませて考えれば、今後はちょっと生まれそうもない特相をもっている。
(257ページ)

ここまで来て、吉田精一がゾラとモーパッサンの間に本質的な差異を見ていないことは明らかというものだろう。
両者ひっくるめて「フランス自然主義」でまとめてしまうことの問題は二点あって、
一点はもちろん、ゾラとモーパッサンではえらいこと違いがあるでしょ、ということだけど、
もう一点は(ゾラもだけど)モーパッサンを「自然主義」という枠でくくってしまうことの
弊害である。モーパッサンがイズムを嫌ったという事実は仮に措くとしても、
自然主義」という制限がモーパッサン文学を著しく限定・固定してしまっていることは
否めない。
もっとも吉田精一がこの本を記した時点で「モーパッサンをちゃんと評価せい」というのは
それ自体アナクロで無理な話である。だからこれは彼に向けた批判ではない。
ただ、この種の弊害はややもすれば今も見られるのではないですか、という警鐘を
(ささやかに)鳴らしてみたいだけなのである。