えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

流れながれて

L'Odyssée d'une fille, 1883
ジル・ブラース、9月25日、モーフリニューズ名。1888年『ユッソン夫人の推薦者』収録。
「ある少女の遍歴」といったところが原題の意。邦題の良し悪しはむずかしいところ。
(ここに現代のオデュッセウスあり、というコノテーションの問題です。)

 そう、その晩の記憶は決して消えることはないだろう。半時間の間、抵抗できない宿命の不吉な印象を受けたのだった。炭鉱の底に降りて行く時に感じるあの震えを感じた。僕はあの人間の惨めさの深い奥底に触れた。ある者にとっては貞淑なままの人生など不可能なことを理解したんだ。
(1巻、997ページ)

ある晩、検問逃れのために一人の街娼を助けた語り手が、彼女の経歴を聞くという物語。
16歳の時、イヴトーの穀物商ルラブルのもとで働いていると、年寄りの彼に言い寄られる。
一方、向かいの食料品屋の店員アントワーヌと恋仲になるが、ある晩彼と部屋にいるところを
ルラブルに見つけられ、彼女は金も持たずに逃げ出し、逮捕を恐れてルーアンへと歩き出す。
途中で出会った憲兵達にももてあそばれ、雨の降る中、街に着いても食べ物も寝るところもない。
男を引っかけるが金も払わずに逃げられ、そのまま野外で眠り、目覚めれば警官に捕まる。
無罪放免となるが、以後も仕事が見つからず、最後の手段として好色な年寄りを相手にして
金を稼ぐようになる。順調に行っていたがある時、相手をした老人が死んでしまい、
許可を得ていないもぐりの売春行為の廉で三か月の禁固形。そしてパリにやって来た。

 おお! 旦那さん、ここでは、生活は厳しいのです。毎日食事にありつけるわけではないんですよ。数が多すぎるんです。結局、しょうがないんだわ、誰にも苦労があるものでしょう?
(1003ページ)

とまあ、要約すれば味も素っ気もないながら、そういう物語である。
これこそコルバンの描き出すところとの類似は明確で、
その意味でいえば、「娼婦」についての一個の典型的な物語、というものであるだろう。
ただモーパッサンは(少なくとも)娼婦自身に語らせている。
彼女にとって、そしてモーパッサンにとって、それは「堕落」とか「不道徳」とかいうレベルの
話ではなく、避けようもない「宿命」のみが現前しているのだ。
その「宿命」の重みと、それをただ甘受するしかない一娼婦の存在とが、
公娼制度云々にまつわる公的な議論や、あるいは「道徳」をたてにとることで結局は
「見て見ぬ振り」をする「健全」な社会のありようの一切に向かって突き付ける
何かがある、ということ。その何かを具体的に、説得的に読者の前に提示してみせること、
ただそれだけをモーパッサンは自らの責務と考えた。
だからここから彼が公娼制度や、あるいは売春そのものに対してどのような見解や立場を
とっていたかを忖度することは無意味だと言っていい。普通の意味で「アンガジェ」することを
モーパッサンはきっぱりと拒絶する。けれどそのことが即座に批判されるべきこととは
私は思わない。あくまで人間の「現実」を直視しつづけ、目を逸らさないだけの強さを
持つことはそんなに簡単ではないと思う。「理想」を抱き、それを声高に謳うことの方が
簡単な場合はいくらもあるのだから。