えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

「つゆのあとさき」を読む

永井荷風『つゆのあとさき』岩波文庫、2005年(23刷)。
初版は1931(昭和6年)11月、中央公論社。12月で荷風は52歳。
書いたのが梅雨時だから、という気の抜け具合は何なのかと思うが、
結末もなんだか拍子抜けである。人物をからみ合わせて話を面白くもってゆく才が
ありながら、往々にしてとってつけたように終わるのが荷風流(なのか)。
芥川風に批評を加えると、
「なるほど風俗はよく書けている。が、畢竟それだけだ。」
てなことも言ってみたくなるくらい、なんだか私にはよく分からない。
そこで、
谷崎潤一郎「「つゆのあとさき」を読む」『改造』昭和6年11月(中村眞一郎編『永井荷風研究』新潮社、1951年に再録)である。

此の小説は近頃珍しくも純客観的描写を以て一貫された、何んの目的も、何んの主張もそれ自身のうちに含んでゐない冷たい写実的作品(後略)
(94ページ)

として谷崎は、この作品には「兎も角も作者を駆り立ててゐるところの創作熱」のようなものが
「少しもない」とおっしゃる。

作者は殆ど何んの感興もなしに、いやいやながら、時々五行十行ぐらゐづつ書き足して行つたかと思はれる程冷静である。
(95ページ)

いやまったく、実にそういう感じがするのである。
谷崎の指摘で私に興味深いのは

すべてこれらの小説は、現代に材を取りながら、その形式も、文章も、共に古めかしくなつかしい感じのもので、これを明治時代の「新小説」や「文藝倶楽部」誌上に発見したとしても、さまで不似合ひではないであらう。
(98ページ)

てなところであって、この同時代感覚はなるほど、と思わせる。
それから谷崎は「四十過ぎてのさう云う侘しい遣る瀬ない独身男の哀れさ」(104ページ)を荷風に見てとり、
こう話を進める。

思ふに荷風氏は、長い間心境索落たる孤独地獄の泥沼に落ち込んで、苦しく味気ないやもめ暮らしの月日を送りつつあるうちに、いつか青年時代の詩や夢や覇気や情熱を擦り減らしてしまつて、次第に人生を冷眼に見るやうになられたのであらう。享楽主義者が享楽に疲れるやうになれば、大概はニヒリストになるのが落ちであるが、氏の斯くの如くにしてもその当然の経路を辿られたかと思はれる。
(105ページ)

考えようによっては凄いことが言ってある。荷風が実際のところそんなに枯れとったとも思わないんだけど、
しかしまあ、読後感として、非常によく分かるのである。
ま、以上は前振りであって、私の本題は当然次の箇所なのではあった。

早くゾラの影響を脱し、日本の自然主義に反抗した作者ではあるが、さすがにかう云ふところへ来ると仏蘭西仕込みの下地が見え、フローベルやモウパッサンを思ひ出させるものがある。私は夙に、日本の自然主義作家の眼界が狭く、題材が貧しく、色彩と変化が乏しいのに不満を抱いてゐたものだが、蓋しこれなぞはモウパッサン流の自然主義に最も近い作品であらう。日本の自然主義が衰へて十何年かの後に、荷風氏に依つて斯くの如き作品が発表されたのは甚だ皮肉である。
(109ページ)

ほい来た、「モウパッサン流の自然主義」でござい。
ま、谷崎の言わんとするところは非常によく分かるので、いちゃもんをつける気はありません。
作者の主観を排したごりごりの「客観描写」の代名詞的存在として「モウパッサン」がいつでもあり、
荷風の小説には終生それがついて回った、ということなのである。要するに。
モーパッサンを熱心に読んだ頃から既に二十数年、これを今さら「影響」と呼ぶのは無意味なことで
あるとするならば、「モウパッサン流の自然主義」というのは結局のところ何なのだろう
というのが、私にとっての尽きせぬ疑問なのである。