えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ジュールおじ

Mon oncle Jules, 1883
「ゴーロワ」、8月7日、「ヴォルール」16日に再録。1884年『ミス・ハリエット』収録。
「ラ・ヴィ・ポピュレール」1885年1月4日、「アナール・ポリティック・エ・リテレール」1888年2月12日
「プチ・パリジャン」別冊、1890年3月11日、にも再録。
ちなみに、Achille Bénouville(1815-1891) への献辞つき。クラシックな風景画家。
ぱっと開いたところでこれが出た。とても有名な作品なので粗筋は述べない。
さすがだなあ、と私が感心した点は語り方にあり、細部にある。
たとえば、語り手はまず家が貧しかったと語った後に、

 けれども、毎日曜日に僕たちは盛装して波止場を一周したものだ。父はフロックコートを着て、大きな帽子をかぶり、手袋をはめて、腕を母に貸す。母はお祭りの日の船のように飾り立てている。姉たちは、まっ先に支度をして、出発の合図を待っていた。でも、土壇場になって、いつも一家の父のフロックコートに、見過ごしていた染みが見つかり、急いでベンジンを浸した布きれでふき取らなければならなかったものだ。
(1巻、932ページ)

こういう細部が後で利いてくるのに加え、この日曜ごとのお出かけが、
実は(いつか帰って来るかもしれない)おじの出迎えの含みを持っていることが、
読んで行くと分かるようになっている。そういう語りの順番がうまい。
「染み」のネタは後に牡蠣売りのところでもちろん出てくるのだけれど、滑稽さと惨めさを
同時に捉えて見事なもので、こういうのを人は一般に「観察が鋭い」という。
そういう細部が生きることで、
尊大ぶっていながら小心な父親、見栄っ張りでケチな母親というようなイメージがくっきり立ってくる
わけで、それを見る視線が子供にあることが重要なのは、あえて言うまでもないことだろう。
当事者でありながら部外者でもある彼の視点が、適度に対象と距離をとりつつも同情をそえる。
姉の結婚を祝っての旅行がジャージー島という設定もよくしたものだけれど、
それによって巧みに明暗の対立を際立たせるわけだ。
いやもううまいなあ、と褒めたおしてしまうのも芸がなくてなんだけれど、
ま、いいか。
落ちぶれた「おじさん」を見て見ぬ振りして去って行く両親は、果たして残酷であろうか
エゴイストであろうか。それともやむかたなし、当然の行為であったろうか。
多分、その両方ともなんだろう。両方ともであるからこそ、なんとも切ないと
言うよりない。
ちなみにジョゼフ少年があげる施しは10スー=50サンチーム。三人で牡蠣を食べて
2フラン50サンチームである。『ベラミ』冒頭でデュロワは朝食22スー、晩飯30スーと述べている。
鹿島茂の提唱以後、みんなが参照する1フラン=1000円換算だと、施し500円なり。
ま、およそそんなもんであるだろう。
最後に、タイトルは「ぼくのジュール伯父さん」であるべきだろう。そのほうがいいじゃないか
ジャック・タチみたいだし。


追記
村上菊一郎訳「ジュールおじ」全集2巻は「おやじの弟」としているので叔父である。
青柳瑞穂訳「ジュール叔父」新潮文庫1巻はもちろん、叔父である。しかし、
高山鉄男訳(岩波文庫)は「ジュール伯父さん」である。「おやじの兄」だ。
こりはびっくり。
私も確信を持って言えるわけではないんだけど、出てくる手紙なんかからしても
これは「伯父」=父の兄、だと思う。
うん、そうだな。
フランス語って変なの、とこの件に関してはやっぱり思う。