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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

武蔵野

話変わって。
十代の頃に『破戒』を読んでどよーんとなって以来、
自然主義なんて御免だぜ、と思ったか思わなかったか、
とにかく何にも読まないままに来た。
しかし因果は巡る風車、かどうかもよく分からないけど、
吉田精一を読んで、独歩は面白いかも、と思ったりしたのである。
そういうわけで
国木田独歩『武蔵野』岩波文庫、改版1刷2006年
を読んでみる。まだ最初だけだけど。
「武蔵野」は「近代日本の自然文学の白眉」だそうである。
そうであったか。
構成もあってないような気ままな随想で、別にお話があるわけでもなんでもなく、
十代の頃の私が読んでも辛気臭いだけだったろうと思われないでもないが、
今読むとなかなかいいじゃないですか、と感じるわけである、これがまた。
執筆時の作者は27歳であったそうで、なるほどなあと思いつつ、
こんな文章が明治31年に書かれていたということにも驚く。
「武蔵野」が田舎だったのは今や昔の話であり
「東京は必ず武蔵野から抹殺せねばならぬ」どころか
その反対の今があるのだろうけれども、しかし
変わらないものは変わらない、という(当たり前の)ことをしみじみ思った。

日が落ちる、野は風が強く吹く、林は鳴る、武蔵野は暮れんとする、寒さが身に沁む、その時は路をいそぎたまえ、顧みて思わず新月が枯林の梢の横に寒い光を放ているのを見る。風が今にも梢から月を吹き落しそうである。突然また野に出る。君はその時、
 山は暮れ野は黄昏の薄かな
の名句を思い出すだろう。
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