えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

エラクリウス・グロス博士

Le Docteur Héraclius Gloss, vers 1875
初出は1921年のルヴュ・ド・パリ、2回に分けて。
改めてこの作品について記しておこう。
私にとってこのテクストが持つ意味は2点にしぼられる。
1点は、ここには後のレアリスト・モーパッサンの姿がほとんど見られないという事実。
モーパッサンフロベールとの交流は72年から73年頃に始まり、
75年頃にゾラをはじめ、後のグループ・メダンの面々との交流がはじまる。
76年に『文芸共和国』に「水辺にて」他の詩篇、およびフロベール論を掲載、
この時点で、モーパッサンの存在は一部の文学者の内では知られるようになる。
そしてそこでは身体的側面を率直に歌い上げるという点において、モーパッサン流の
レアリスムが認められる。同じ時期に書きはじめる歴史劇においてもそれは同じ。
身体的側面と同時に強調するべきは「描写」の存在が、これ以降、モーパッサン文学の
中心に位置づけられるようになることだ。
だがその主だった2面は『エラクリウス』にはまったくと言っていいほど認められない。
この時期のモーパッサンラブレーにかぶれていたことは、書簡やブールジェの証言から
分かる。そして「哲学コント」と言えばヴォルテール。『エラクリウス』の舞台は18世紀であり
無神論がベースになっている点でも、モーパッサンの志向性はわりとはっきり見てとれる。
端的に言うと、この時点のモーパッサンは「現代文学」についての意識が低い。言いかえると
「売る」ことに無頓着なのだ。だからここには、書きたいものを書きたいように書いている彼の姿が認められる。
コルネイユ、ラ・フォンテーヌというクラシック、そしてギリシャ・ラテン作家へのレフェランス、
なかんずくはピュタゴラス。そして旧約聖書。このへんの趣味趣向がこれまた実にクラシックで、
すなわち学校教育で得たものがありありと出ている点にも注意したい。モーパッサンギリシャ語は
苦手だがラテン語はよくできたという話もあるけれど、とにかく正統路線にあるということ。
学校出たての青年の習作という色合いは、これまた古典的な文体とあいまって一層強まるのではある。
だがそこにこそ原モーパッサンの姿がある。
以上が1点目。
2点目は、そのような原モーパッサンはどのような物語を書いたのか、という作品分析から
抽出されるもの。
「哲学的真実」を求めるエラクリウスは、既存の哲学・宗教は真理に届いていないと認識し、苦悩している。
キリスト教の否定という命題がそこにあることは前にも記した。もちろん1870年代にそれは新しいことでも
何でもない。問題は「神」を捨てた後に人間はどのような状態に置かれたか、という点にある。
エラクリウスの抱える問題は、モーパッサンのそれであり、すなわち現代人のそれでありえた。
そして原理的に解決不能のこの問題は、80年代の彼の作品にも常に通底するものとなる。
輪廻転生という考え方は、霊魂の不滅を保障するという限りにおいて、虚無を前にした人間を慰めうる
ということを、真面目な問題として取り上げることは滑稽であるだろうか。
モーパッサンがそれを信じていたと考えるべき根拠はないし、『エラクリウス』はそれを滑稽に
描いている。だが少なくとも輪廻という代価案を主題にすることによって、
いわば実存にかかわる問題意識が、この作品を貫く一本の線として存在しつづけていることを
視野に収めておくことは無意味ではあるまい。そこから、たとえば人間と動物との相違と
両者の関係性なども副次的な問題として現われてくる。「人間を動物、動物を人間」と考える男だ
と最後にエラクリウスはフェロルムを指弾する。人間における動物性を、そして動物の中に
愛情を始めとする(人間的な)情動を見てとったのはモーパッサンではなかっただろうか。
「哲学的真実」の探求として始まった物語は、しかし輪廻転生を語る手稿の発見を契機として
どんどんと逸脱してゆく。それはさらに手稿の作者は誰か、という問題へと発展し、
後半は作者探しの物語に完全に移行する。そこにエクリチュールと書き手の主体の問題が顕前化し、
主体の不安定さはドゥーブルのテーマと密接に結びつく。その帰結は aliénation 自己喪失としての
狂気に逢着する。『エラクリウス』の含む最も現代的な問題性はおそらくここに見出せる。
しかしル・ポワトヴァンやフロベールと関係づけることで、これをモーパッサン個人のトラウマ
の表出と見ることを、私はしばし留保したい。その点を留保することで、
問題はより一般的・普遍的な命題としての意味を持つと考えたいからだ。モーパッサン
狂気を扱った一連の作品が存在し、その帰結に中編『オルラ』が存在することは言うまでもない。
主我に幽閉された個人が思想を思いつめた先には狂気が不可避的に待っているという命題が
それら一連の作品には読み取れる(ただし中編オルラは「それだけ」では読み解けない)。
『エラクリウス』は明らかにそれらの物語の原型を成している。
レアリスム獲得以前の「形而上的」モーパッサンは、諧謔と滑稽を表現手段としながらも、
現代人の置かれた袋小路の状況を既に明確に洞察し、それを彼の最初の小説の主題に据えたのである。
この作品はとことん暗いものだけれど、モーパッサンの抱える根深いペシミスムは、
両親の不和、敗戦の体験、自身の病気、小役人としての苦役の日々、凡庸かつ愚鈍なブルジョア蔑視
という「だけ」に由来するものでは、恐らくはなかった。
そこにフロベールの『ブヴァールとペキュシェ』の持つ意味もある。
モーパッサンはこの作品の執筆経過をじかにフロベールから聞いているし、その主題についても
十分に理解していた。そして、モーパッサンの小説執筆は、このフロベールの終生の到達点
となるはずの『ブヴァール』からこそ始まっているのだ。
『ボヴァリー夫人』と『感情教育』を自然主義の手本として崇めたメダニスト達の「素朴さ」
からモーパッサンがどれだけ遠いところに既に立っていたかを、当時知る人は誰もいなかった。
今日でさえ、そのことははっきりと指摘されてはいないように思われる。
ここまで来て、私は、『エラクリウス』にモーパッサンが託した野心の所在を理解する。
度し難いまでの形式上のアナクロニスムが、この作品を傑作とすることを阻害しているし、
狂気というテーマの扱われ方も、ここではまだ類型的なものに留まっている。
モーパッサンゴーゴリ狂人日記」を読んでいたのだろうか。)
つまり「狂気とは何か」ひるがえって「理性とは何か」という問いにまで達していない。
けれどもここに見られる原モーパッサンは、同時に後のモーパッサンの核心ともいうべきもの
の存在を既にはっきりと告げ知らせている。
今日、『エラクリウス』を読み返すことの意味は、その事実を確認することにあるのではないか
と、今の私は考える。長くなった。