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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

べリアルの散歩

文学研究

「研究」と呼ぶのはまだおこがましい感想。
全6章の中編小説。46ページ。
新婚のプレヴァル公爵夫妻はお客を排し、生命とは何かについて話しあっている(変な設定)。
ちなみに奥方はクレチアンで、夫は折衷主義。
そこに現れる悪魔。自称「愛を司る精霊」で、ミルトン言うところの「不浄の愛の神」すなわちべリアル。
彼は奥方の誤謬を解いてあげようと、二人を夜の街に連れ出すのであった。


ま、内容はよいとしてべリアル説くところによれば、魂は不滅であり、転生しますが、
転生によって魂は進化してゆくのであります。前世の記憶は死んだら失われますが、
しかし今の生の在り方は前世によって決定され、今の生が来生を決定します。
一応動物も含まれるけれど、話はもっぱら人間が中心です。転生するごとに魂は「理想」へと
近づいていかなければなりません。そこで魂の経る段階は3段階あります。
1段階。魂が物質に隷属。肉欲に囚われた状態。
2段階 魂が物質を拒絶。禁欲に勤しみましょう。
3段階 魂は物質と和解します。麗しの均衡がもたらされます。
めでたく最終段階に達した魂は、別の世界でまた同じことを繰り返すのです。
以上。
作品全体は、巷の人間を指し示しながら上記の理論をひたすら説明していくことから成っていて、
前世はべリアル示す魔法の鏡に映し出される。
さて、編者デシャルムはここに作者の知的・精神的苦悩の表明を見てとる。
現生への幻滅と嫌悪は、魂が転生を繰り返しながらより完成された状態へ向かうという思想に
よって慰められただろうということ。それは確かにそうかもしれない。
この作品が書かれたのは1845年から47年頃、キリスト教の衰退と実証主義の隆盛との間で動揺する
社会において、神秘主義思想への傾倒も見られたという時代状況に照らし合わせれば、
この作品の思想性は決して無視できるものではない、とさらに編者は述べている。
要するに、ル・ポワトヴァンはしごく真面目にこの作品を書いたのである(らしい)。
うーむ、そうであったか。


さて、しかし私の目下の関心はあくまで『エラクリウス』にある。
モーパッサンが、アルフレッドの息子、すなわち従兄にあたるルイ・ル・ポワトヴァン
からこの原稿を見せてもらった可能性は十分にある。
だとすると何がどうなのか。
こと輪廻転生の説に関しては、『べリアル』と『エラクリウス』にはほとんど接点がないということが
まず確かめられよう。前者はもっぱら人間に限っているし、贖罪という観念もほとんど見られない。
ただ解脱の可能性を捨てて、ひたすら回り続ける、という点は同じと言えるか。
だから、仮に読んだとしても、これを元ネタにしたと言えば誇張になろう。
けれども、一つ面白いことに気がついた。それは、
モーパッサンは(仮に読んだとすれば)アルフレッド手書きのマニュスクリで読んだということだ。
つまり「輪廻転生について書かれた手稿」であり、それはエラクリウス博士が発見するものと「同じ」もの
といえる。推敲の跡おびただしい未知の伯父さんの原稿を解読しながら、
モーパッサンを刺激したものとは、作品の内容はもとより、その手稿の存在そのものだったのでは
ないだろうか。そう考えるならば、
『エラクリウス』着想の起源には、やはり『べリアル』があったのかもしれない。
その可能性は少なくないように思える。
とりあえず、それだけ。