えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

大佐の考え

Les Idées du colonel, 1884
7月9日、ゴーロワ紙、『イヴェット』所収。
12月7日、および1890年4月13日の「ランテルヌ」、
12月14日、「アナール・ポリティック・エ・リテレール」
これが二度目の書き換えによる作品で、三度目にして単行本に入れられることになった。
ラポルト大佐による回想という形式になっており、驚くことに
ここではまた語りのトーンが一変することになる。
フランス男性は女性好きである、という一種のクリシェがまず宣言される。こと女性の
ためとあればどんな艱難辛苦も乗り越えられるのが、真のフランス男性というものである。
そしてその例証として、普仏戦争の一夜の行軍が語られる。
まず目につくのは、空腹と疲労による行軍の辛さが強調されていること。
それによって、展開は『思い出』とそれほど変わらないながら、話の焦点は
はっきりと少女との出会い、それによって活気づけられた軍隊に当てられる。

 我々が一国を救ったかのように、他の男たちには出来ない何事か、単純にして真に愛国的な何かを我々は成し遂げたように思われたのさ。
 あの小柄な姿をだよ、私は決して忘れることがないだろう。もしも私が太鼓と喇叭の廃止について意見を述べなきゃならんなら、代わりに各連隊に一人の可愛らしい少女をつけるように進言するよ。ラ・マルセイエーズを演奏するよりその方がよっぽどいいさ。まったく、そんな風に一人のマドンナをさ、大佐のそばに一人の生きたマドンナを置けば、どんなに軍隊は活気づくだろうかね。
(2巻167ページ)

客観的な「本当らしさ」を尊重する限りでは『思い出』は一つの完成形だといっていいかもしれない。
だが「本当らしさ」の追求の結果、この作品は「小説らしさ」を失うところにまで行っている。
そう考えることはできるだろうし、だからこそモーパッサンは同じ主題を取り上げ、
これを小説に(もう一度)仕立てなおした。その際に彼が行ったのは、
快活で素朴な老大佐という人物の「主観」に物語全体を染め直すことだった。
行軍の過酷さと、語りの無邪気さは、コントラストを成しながらも、相反する要素が混在する
ことによって独特の厚みを作品にもたらすし、クリシェの色濃い語りは、かえって読者に
距離を置くように働きかけるだろう。老大佐が素朴な愛国心を持っていることは疑いないに
しても、それがそのまま作品のメッセージとして機能するわけではないのだ。
モーパッサンがただのレアリストだったなら、『思い出』までで十分だったろう。
『思い出』と『大佐の考え』の間に見出されるのは、
優れた語り手=短編作家モーパッサンの直観と技法の存在だ。
『思い出』を読んだ時に私は素朴に感心した。しかし続けて『大佐の考え』を読めば、
後者のほうこそが、作品がいきいきと活気づいていることに唸らされる。
それは、私が単純すぎるというだけのことかもしれないけれど。