えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

モワロン

Moiron, 1887
9月27日、ジル・ブラース。1888年『月光』所収。
1891年12月12日、L'Intransigeant illustré に再録。
モーパッサンキリスト教の神、という点に関して真っ先に思いつく作品。

 まだプランツィーニについて話されていた時に、帝政下で検事総長を務めていたマルロー氏が我々に言った。
 「おお! 以前、私も大変興味深い事件に関わりました。多くの特別な点で興味深いものだと、今にお分かりなるでしょう。」
(2巻984ページ)

(3人の殺人事件の犯人プランツィーニは9月3日に処刑された。)
ノール県で教師を務めていたモワロン氏は、知性があり、宗教心にも篤く、すぐれた教師と評判の人物だった。
結婚後、三人の子を相次いで亡くした後は、生徒を自分の子供のように可愛がり、おもちゃやお菓子を与える
ほどだった。
ところが彼の生徒が五人、相次いで謎の死を遂げた。死体解剖からも何も見つからなかった。
一年後、最も優秀で最もモワロンが可愛がっていた二人の生徒がまた亡くなる。
解剖の結果、砕いたガラスの破片が見つかった。こっそりお菓子を盗み食いしたモワロンの女中が
同じ症状を見せたことから、モワロンは逮捕される。
調査の結果、彼が保存していたお菓子からガラスの破片が発見されるが、モワロンは無実を主張する。
やがてモワロンは死刑を宣告されるが、彼の聴罪司祭が検事を訪れ、モワロンの無罪をほのめかす。
懐疑にとりつかれた検事は、皇帝に恩赦を願い出、皇后の言葉によって、モワロンは減刑、
トゥーロンで徒刑に服することになった・・・。
今から二年ほど前、夏をリールで過ごしに行ったマルローは、若い司祭の訪問を受け、
彼についてある家を訪れると、そこには瀕死のモワロンがいた・・・。


そこからモワロンの告白がつづられる。子供を殺したのは自分だった。
それは復讐のためだったのだと彼は言う。
自分は神を信じ善良に暮らしてきたのに、なぜ神は自分の三人の子どもを奪ったのか?

私は彼らのためだけに生きていました。気も狂わんばかりでした。三人ともが死んでしまった! どうして? どうして? この私が何をしたというのか? 私は反抗しました。怒りに駆られた反抗でした。そして目が覚める時のように、突然に私の目は開かれたのです。神は意地が悪いのだ。どうして彼は私の子ども達を殺したのか? 私の目は開かれ、彼が殺すことを好きなのを目にしました。彼はそれだけが好きなんですよ、あなた。彼は破壊するためだけに生きさせる! 神とは、殺人者です。彼には毎日、死人が必要なんです。彼はあらゆる方法でそれをやって楽しむのです。
(989ページ)

かくして、神に代わって殺すこと、それがモワロンにとっての復讐となった。彼は懺悔することもなく
死んでゆく。

 「そう、そう、彼は自分のカラスどもを死体のもとへと遣わすでしょう。」
 私にはもう十分でした。私はドアを開けて逃げ出したのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(990ページ)

もちろん、このモワロンの独白をそのまま作者のそれととることは出来ない。
ただ神への呪詛は『あだ花』などにも見られ、なかんずく遺作『アンジェリュス』
はまさしくこの呪詛をぶちまける箇所で終わっている。年を追うにつれ、妄執のように
作者にとりついた観念であったと想像することは十分に妥当であるだろう。
改めてこの作品を読み返すと、その切迫した度合と重苦しさに驚かされる。
なんというか、ここには余裕が感じられない。鬼気迫るとはこういうものだろうか、と思う。
憎むためにこそ神を必要とするという限りで、モーパッサン無神論から遠ざかると
言うことが出来るのかもしれない。それはなんと絶望的な所作だろうか。
不幸ゆえに神を呪うとは子供のふるまいである、と断じることは不可能ではない。
大人げないのではないながら、モワロン(あるいはモーパッサン)の怒りと憎しみは
成熟の拒絶につながるものであるだろう。
そのことは認めてもいい。
だが、このほとんど捨て身の反抗の所作が、まさしく子どもの嘆きのように我々の胸を打つ
だろうことを、私は疑おうとは思わない。


『エラクリウス』から12年。その間に一本の線がはっきりと繋がるのかどうかは
(それが今の私の関心なのだけれど)簡単には断言できない。それほどに
この十二年の隔たりは大きくも深い。けれども・・・。
と思いもするが、決断を急ぐ必要はない。