えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

わが英人諸君

Nos Anglais, 1885
ジル・ブラース、2月10日。『トワーヌ』所収。
Le Bon Journal, 1886年8月1日再録。いろんな新聞がある。
普通に訳せば「我らがイギリス人」。呼びかけているわけでもないので「諸君」は微妙かと。
『狂人の手紙』の一つ前の作品が、ふと目にとまったので。

 装丁された小さなノートが列車のクッション付きの座席の上に置かれていた。私はそれを取って開いた。旅行日誌で、ある旅行者が落としたものだった。
 ここに最後の三ページを写してお目にかける。
(451ページ)

 これもお約束的な冒頭。ただ今回はモーフリニューズの署名なし?の模様。
日記は2月1日から8日まで。10日付新聞は9日に出るのですね。
さて内容だが、南仏マントンに着いた旅行者はホテルに泊まるが、その宿屋にはイギリス人ばかりが泊っていた。
で、最初っから最後まで、「イギリス人」をこけにしまくった一編なのである、要するに。
フランス人が戯画的に描くイギリス人とは、真面目腐って辛気臭い、というものだろう。
おまけにここでは国教会の牧師が出てきて、みんなして信心に凝り固まっていて、着いた初日は日曜日で、
食事中は聖書の話、食後はダンスでもするかと思いきや、そろって賛美歌を歌い出すのである。
それを日記の書き手は、一人部屋のすみっこで聴きながら、愚痴をたれまくる。
女性はみんなして頭にœuf à la neige(泡立て卵白のお菓子)を載せているというのも
よく分からないが滑稽だ。ちなみに彼女たちを揶揄して、語り手はルイ・ブイエの詩を引用する。

 あなたの胸が痩せているからってなんでしょう。おお我が愛の対象よ。
 胸が平らな時には、一層心に近づけるものです。
 かごに閉じ込められたツグミのように
 あなたの骨の間に、足で立って夢見る愛が見えます!
(454ページ)

大変に意地が悪いのである。
教会に対する悪口もひどい。牧師の説教に出てくる聖書の言葉に驚いた、といってこんな句が引用?される。

「渇いた者のために私は水をまく」
(中略)
「飢えた者は食べ物を求める」
「空気が鳥のものであるのは、海が魚のものであるがごとし」
「イチジクの木はイチジクの実をつけ、椰子の木は椰子の実をつける」
「耳を貸さない人間は学問を理解しない」
(455ページ)

全部、当たり前である。もちろん、聖書にこんなのは出てこない。モーパッサンの創作だ。
一週間にわたって苦渋をなめさせられたフランス人の語り手は、ささやかな復讐をするが、
翌日ホテルを追い払われる。牧師を呼びつけて、聖書にまつわる矛盾を指摘して、
一泡ふかせてご満悦で帰ってきた、というところで日記は終わっている。
モーパッサンは外国人(イギリス人・ドイツ人)をよくからかう。ただ注意すべきは、
それはいつも「フランスにいる外国人」であることで(ある種の「生地主義」みたいなものが
モーパッサンにはあり、中編『オルラ』冒頭がよく引かれる)、
たいてい彼らは半端なフランス語を話す。

あなた、あなたピアノの鍵取ったと言われました。婦人方、賛美歌歌うためにそれ欲しいです。(訳せません)
"Mosieu, on me avé dit que vô avé pris la clef de la piano. Les dames vôdraient le avoir, pour chanté le cantique."
(458ページ)

大変、意地が悪いのである。
が、そうすると外国(たとえばアフリカ)に行ったフランス人というもの
これは作者の諷刺の対象になる、ということなのである(作者自身は別だけど)。
で、もちろんイギリス人をばかにしているのではあるけれど、それだけのものでもない。
というのは彼らをけちょんけちょんにののしり、エスプリ?かまして煙にまいて得意がっている
このなんとも軽薄なフランス人の語り手もまた、作者の手になる戯画だからだ。
毎晩部屋の隅っこでイギリス人たちをうらめしげに見ている彼の姿を想像すると、なんともおかしいが、
つまるところは外国人に対するクリシェそのものが、作者の本当の冷やかしの対象となっている。
「拾った日記を写しました」という前置きは、だから決して空疎なお約束ではなく、不可欠であり、
ちゃんと機能している。
ここに見られるヴォルテリアニスムを「最良の出来ではない」とフォレスチエは言うけれども、
なかなかどうして、これは笑える一編であるし、モーパッサンお得意のエスプリ全開というものだろう。