えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

滑稽な対立

Conflits pour rire, 1882
ジル・ブラース、5月1日。モーフリニューズ。
翻訳全集に載っていないもので、それもそのはず、従来クロニックとくくられ、
プレイヤッド版に初収録されたもの。

 大騒動となった修道士の追放以来、我々は市民的権威と教会の支配との対立の時代に入った。
(1巻426ページ)

で始まる冒頭は時事ネタであり、教育の現場から聖職者が追放されるという大事件。
フォレスチエによれば、1880年3月29日の政令のことと。
モーパッサンがもう一つ挙げているのは、1882年4月2日の法律で、出版の自由を規制する内容
に対して怒ったアンリ・ロシュフォール

 私は彼に以下の物語を捧げよう。あらゆる点で本当だが、既に昔の話である。
(426ページ)

ノルマンディーのある田舎村の教会は大層古い歴史的建造物。その入口のポルタイユは
中世の彫刻で、アダムとイヴが「原初の衣服」でお立ちになっている。

 さて、この村は大変善良な司祭の管轄だったが、彼はこのあまりに自然すぎる一団の前を通るたびに、羞恥で赤くなるのだった。はじめ彼は無言で苦しみ、魂まで傷つけらていた。だがどうすればいいのか?
(427ページ)

 そこで司祭さんは村長さんにお願いに行くのだけれど、村長さんは「自由思想家」だった。

 驚いた聖職者は、嘆願し、懇願して、世俗の権威がただ少しだけ我らが父アダムを小さくすることを、ほんのわずかだけ、トルコ式のちょっとした修正を許してくれるように求めた。
(427ページ)

村長さんは頑として認めてくれない。
次の日曜日、村人が驚いたことには、アダムがズボンをはいていた!
村長さんはたちまち怒って撤去させる。司祭さんはますます困る。
ある晩、教会の隣に住む者が物音で目を覚ます。教会に泥棒が入ろうとしている!
あわてて届け出て、村長さんや助役や消防士やらの一団が駆けつけてくる。
「前へ! 捕まえろ!」の村長の号令に、捕まったのは金槌を手にした司祭さんだった。


もう一つ小話があって、それは学校で聖書の記述について教えることに関する
教師と聖職者の対立について。
これは、もっと最近の1882年3月28日法が問題となっている。
政教分離の実態については、
工藤庸子『宗教 vs. 国家 フランス「政教分離」と市民の誕生』講談社現代新書、2007年
を参照。『女の一生』も出てきます。)
学校で聖書について教えなくなったら誰が教えるのか? ―誰も。
仮に教えてよいとなった場合、そこに書かれた世界創造のお話をどう教えるのか?
それを「キリスト教の教会の聖なる寓話」と呼んだら非難されなければならないのだろうか?
実際、今フランス中でなんとも言えない対立が起こっているのだ、とモーパッサンは締めくくっている。


これをそのまま単行本に収録することはありえない、という点で、どちらかといえば
クロニックに分類される作ではあろうが、
ホットな時事的問題に対し、田舎の司祭さんの滑稽話で応じるあたりに、
短編作家モーパッサンの面目が見てとれるのかもしれない。教会がらみの問題について
モーパッサンが典型的にライックだったことは疑うまでもないだろう。
政教分離をめぐる騒動は、彼にとっては「笑うべき対立」でしかないようなものだった。
笑いによって深刻なものを滑稽に転じ、権威に対して(ささやかな)批判をぶつける。
そういうモーパッサンの姿が好もしいし、
こういう軽妙なコミックを書かせたらモーパッサンは本当にうまいのである。