えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

お菓子

Le Gâteau, 1882
ジル・ブラース、1月19日、モーフリニューズ。
1899年『ミロンじいさん』初所収。

 彼女の名前はアンセール夫人だったと言っておこう。誰も本当の名前を知らないのだから。
 それはパリの彗星の一人で、彼女達は後ろに尾のようなものをひきずっている。彼女は詩や短編小説を書き、詩心があり、うっとりさせるほど美しかった。彼女が家に迎えるのは少数で、傑出した人物たち、一般に何々の王子と呼ばれるような人たちだけだった。彼女の家に迎えられることは一つの称号、真に知性ある者の称号だった。少なくとも、そんな風に訪問者のことは呼ばれていたものだ。
(1巻347ページ)

彼女には夫がいて、星の周りを回る「衛星」みたいな役柄だったが、彼は妻に
対抗するために「国家の中の国家」を作ることにした。すなわち、彼女が客を迎える日には
自分も自分用の客を迎えるのだ。彼は農業を研究し、そこそこの評判を得て、妻の介添えで
農務省の委員会のメンバーに選ばれる。
妻のサロンに来るのは、芸術家、アカデミー会員、大臣など。
夫は喫煙室に、農業家達を招き、かくして二つの陣営ができる。
旦那はしばしば「アカデミー」にも顔を出すが、アカデミー側は「農業サロン」を馬鹿にしている。
さて、夫人のサロンでは食事は出さず、お茶とブリオッシュが出るのだった。

 さて、やがてこのブリオッシュがアカデミーにとっては最も興味深い観察の対象となった。アンセール夫人は決して自分ではそれにナイフを入れない。その役はいつも、有名なお客たちの一人から一人へと移ってゆく。この特別な役目は、格別に名誉があり羨望の的であったが、人によって務める期間はまちまちだった。時には三か月、それ以上のことは稀だった。そして「ブリオッシュを切り分ける」特権は、多くの別の優位さを伴っていることに人は気づくのだった。それは一種の王権、いやむしろ特に目立った副王の権利であった。
 ナイフを持つものは支配的に声を上げ、目につくほど命令口調になる。そして女主人の好意はすっかり彼のみに注がれるのだ。すっかりと。
(348ページ)

寵愛を受ける男性は陰で「ブリオッシュのお気に入り」と呼ばれている。
ナイフの持ち手は詩人から画家へ、画家から小説家へと移り、
「それぞれ、つかの間の王位についている間は、夫に対して格別の配慮を見せるのだった。」
そういう状態が長い間続くが、「彗星の輝きはいつまでも同じではない。」ナイフの持ち手
になることの羨望は次第次第に薄まってゆき、遂には誰も進んでその役を引き受けなくなる。
「昔のお気に入り」が復活することもあったが

それから、選ばれる者は稀になった。すっかり稀になってしまった。一か月の間は、おお、なんということ、アンセール氏が菓子を切り分けた。それから彼も倦んだようだった。そしてある晩のこと、アンセール夫人が、麗しのアンセール夫人が自ら切り分けたのだった。
(349ページ)

それからまた何年も経ち、もう誰も菓子を切り分けなくなった。
ところがある晩、何も知らないうぶな青年がやって来る。
夫人がブリオッシュを切り分けてくれないかと頼むと、彼は名誉にうっとりしながら
喜んで引き受けた!

 遠くでは、廊下の隅、農業家達のサロンに向けて開かれたドアの陰に、驚いた顔が覗いていた。それから、新人がためらいもなく切り分けたのを見ると、皆は生き生きと近寄って来た。
 ある老いたからかい好きの詩人が、新参者の肩を叩いた。
「ブラボー、青年よ。」彼は耳に囁いた。
(350ページ)

なんとも情けなくもおかしい落ちは読んでのお楽しみ、ということでこの辺で切り上げよう。
全編これ「ほのめかし」で溢れた一編で、この手の艶笑譚として最初のものだと
フォレスチエは注釈している。この手の傑作は「旧友パシアンス」ということに
格別異存もない。これまた「大人のコント」というものでござる。
コキュ「寝取られ夫」はフランス文学の長い長い伝統のある題材だし
モーパッサンも好んで取り上げている。アンセール氏は「分かっている」
タイプであるが、「分かってない」タイプより、こちらのほうが情けなくも
滑稽であるような気がする。そうでもないかな。
ここで題材になっているのは「身がわり」とも関係があり、
「いなかの法廷」なんかも近いものであるところの、女性の年齢による性的魅力の減衰だ。
とりわけこの場合のように、サロンを開く上流のご婦人の場合には大事な問題だったと
推察される。作者がこの作品を短編集に収録しなかったのも、その辺を慮って
のことだったかもしれない。女性にとっては笑えた話じゃないのである。
てなことを言うと怒られるだろうか。
ま、笑いの対象になっているのはなにも女主人ばかりでなく、
ご高名なアカデミシャンも芸術家もひっくるめて男ぜんぶだ、ということで
お許しいただきたい。
別の見方をすると「老い」という問題は男女を問わず、後のモーパッサン作品に
どんどん影を落としてゆくようになる。この作品もその現れの一つとも言えよう。
1882年1月。この頃からモーパッサンは生きのいい短編を怒涛の勢いで書きまくる。
その中で、いわゆるゴロワズリ(ガリア気質。別の意味に「陽気な猥談」)もまた
モーパッサンの特色(長所?)の一つなのは確かだけれど、常に「語りの妙」
あってこそのモーパッサンだということを、忘れないでおきたい。