えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ぜいじゃくな私

ナダール撮影のモーパッサン

なんだかうだうだして日が過ぎて夜になる。
多木浩二『肖像写真―時代のまなざし』岩波新書、2007年
の最初にナダールが出てくる。
19世紀後半の芸術家はほとんどみんなナダールに写真を撮られているのは
しかし何なのだ、と改めて考える。
(ナダール撮影のモーパッサンを載せておこう。拙HPにも載せてるけど。)
芸術家であるならナダールに撮ってもらわなきゃ、というのがほとんど常識としてあった。これは凄いことだ。
ナダールの写真が、芸術家として社会に認知されたということに証明を与えた。
当たり前ながら彼の肖像写真は徹頭徹尾、社会的なものだったということである。
それはそうとしても、それがナダールになったのは、彼の写真に特別な何かがあったからなのだろう。
普通に考えて、それはナダールが需要を満たしたからだと考えられる。つまりは
被写体の欲望を彼の写真は満足させたのであり、それはつまり、
かくあるべし、という芸術家が抱く自己の理想的イメージを写し取ることにおいてナダールは
すぐれていたのだということになろう。そして実際、彼の肖像写真は「いかにもなるほどこんな人」
という印象を分かりやすいぐらいに伝えてくる(ような気がするのだ)。
自分の撮ってほしい写真を撮ってくれる人、それがナダールだったのだと思う。
そういう写真を撮ってくれる人が人気にならないはずはない。
違うだろうか。