えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

恐怖

La Peur, 1884
フィガロ、7月25日。
「エコー・ド・ラ・スメーヌ」1890年8月31日に再録。コナール版『ロックの娘』所収。
ゴーロワ1882年10月23日に同題の作品がある。

 汽車は全速力で闇の中を走っていた。
 私は一人、老年の紳士の前に座り、彼は扉から外を眺めていた。パリ―リヨンー地中海線のこの車両には石炭酸が強く匂っていた。恐らくマルセイユから来たのだろう。
(2巻198ページ)

 という語り出しから始まる。パリを出て三時間、フランス中部を走っている頃だ。

 それは突然の、幻想的な幻のようだった。森の中、大きな焚火の傍に二人の男が立っていた。
(同)

真夏の真夜中に森の中で彼らは何をしていたのか? 二人にはありそうな理由が思いつかない。

 そして隣人は話し始めた・・・。それは老人で、職業が何かは分からなかった。間違いなく独特な人物で、大変教養があり、おそらくは幾らか調子がずれていた。
 だが誰が賢人で誰が狂人かなど分かるものだろうか、理性がしばしば愚かさと、狂気が天才と呼ばれるようなこの人生において?
(199ページ)

科学の時代において、人はもう迷信を信じなくなった。だがそのことで世界は空虚になってしまった、と老人は語り、
自分は古い時代の人間なので、昔を懐かしむという。

 彼は繰り返した。人は理解できないものしか、本当に恐れはしないのですよ。
(200ページ)

 その同じ言葉をかつて語った、ツルゲーネフの回想譚を、「私」は話す。
それは、ロシアのある森の中で狂女に出会ったという物語。
その話を受けて、老人も昔話をする。
ブルターニュの田舎を旅行中、ある真夜中。向こうから、誰も押さない手押車がやって来るのを
目にして心底怖かったという話。
相手は最後に、今南部ではやっているコレラが引き起こす恐怖について語る。

 どうしてあんな馬鹿騒ぎをするのでしょう? それは「奴」がそこにいるからです。「微生物」ではなく、「コレラ」に人は立ち向かい、陰で狙っている敵に対するように、奴の前で勇ましくあろうとするからです。奴のために、人は踊り、笑い、叫び、花火を上げ、ワルツを演奏するのは、奴のためです。相手を殺す「精霊」、それがいたるところにいるのを感じながら、目には見えず、脅威となり、野蛮な魔術師が祓った古代の悪霊の一つであるかのようなのです・・・
(205ページ)

「人は理解できないものしか、本当に恐れはしない」という繰り返されるテーゼは、
モーパッサンの一連の怪奇ものを貫くものだと私は考えている。
科学と合理主義と実証主義が迷信を払拭し、幽霊も悪魔も人はもはや信じなくなった。
人間はいずれ全ての謎を解明するだろう、というのが楽観的科学信奉者であったとすれば、
しかしモーパッサンは懐疑的な立場に立つ。
結局、人間の認識には限界があり、謎はいつまでも残り続ける。コレラの災厄から逃れるために
踊りや花火で気を紛らす人々の存在が、その紛れもない証拠として彼の目には映った。
結局のところ、最終的に「それ」が何であったかが分かるかどうかは最大の問題ではない。
「分からない」ものとの遭遇は、「分からないものは存在しない」と人が「信じる」ようになった時代にこそ
より一層の恐怖を掻き立てずにはおかなくなった、という一種の逆説の内に、
モーパッサンは人間の非力な姿を見てとるのだ。
最後に大文字の代名詞 Il (彼/それ)で名指されるコレラの存在は、紛れもなく「オルラ」の誕生の
きっかけとなったものである。「恐怖」と「幻想」を結びつけた点で、このテクストは決定的なものと
なったとフォレスチエが指摘する通り、モーパッサンの「幻想小説」を知る上でこのテクストは重要だ。


ところで、もう一つ私は別のことを問題にしておきたい。
噂のガリカでフィガロ紙のこの日の分ももちろん目にすることができるようになった。
そして実際に目にすると、何が分かるのか。
なんとこのテクストは新聞の冒頭記事だった、ということが分かるのである。
末尾の署名はギ・ド・モーパッサン。文中ではツルゲーネフの思い出についても
語るこの語り手「私」が、作者その人と同一視されることは疑いもないが、
通常、冒頭記事は今で言う社説に近い論説記事が占めることが多いということも忘れられない。
この場所に掲載されるというその事実そのものが、そのテクストの性質を既に規定する。
だからこれはもう絶対に「コント」ではない。言葉の十全の意味においての「ヌーヴェル」であり
「クロニック」と呼ぶにふさわしい。
当たり前のことだが、我々が目にするのはただテクストだけで、書かれていることが「本当」であるか
どうかなんて決めようがない。だが、新聞1面の冒頭という場が、その言説が「本当」であることを
そう信じることを読者に要請する。
だが作者は普通のクロニックを書かず、(架空の)対話によってテクストを構成する。そこにおいて
フィクションとは一体何なのか?
少なくともそういう問いが、当時の新聞を目にすることによってよりはっきりと提起されるのである。