えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

おくりもの

Étrennes, 1887
ジル・ブラース、1月7日。死後出版『行商人』初収録。
全集訳は「おくりもの」であれれと思う。普通に言えば「お年玉」。
ま、いい歳こいてお年玉もないので、「新年の贈り物」というものであろうか。
ジャック・ド・ランタルは大みそかの夜、年賀状を書いている。毎年そうして過ごし、
過ぎた一年を思い返す習慣だった。今、愛人に向けて書いていると、
その彼女が訪れてくる。
イレーヌは長椅子に座りこむと顔を覆って泣き始め、
二人の関係が夫にばれ、暴力をふられて逃げ出してきたという。

 彼は驚いた。あの夫が乱暴になるなんて思ってもみなかったのだ。社交界の、上流の、サークルの、乗馬の、劇場と剣の男だった。有名で、よく話題にされ、どこでも評判よく、大変慇懃な物腰で、大変凡庸な精神で、教養と真の知性とに欠けているが、育ちのいい人間のように物事を考えるには不可欠なものであり、あらゆるしかるべき偏見を尊敬していた。
(870ページ)

彼女は家には帰れない、今すぐ駆け落ちしてくれと訴えるが、ジャックは冷静になだめようとする。
やがて彼女は怒り出し、飛び出して行こうとするのを引き止めた後、ジャックは態度を変えて
なんでも彼女の言う通りにしようと言い始める。疑った彼女は、考えを変えた理由の説明を求める。
そこでジャックは、不倫する女性の弁護を熱く語り始める・・・。

 男が女を愛し、彼女を征服しようと努め、彼女を得た時には、自分自身に対しても、彼女に対しても神聖な約束を結んだんだ。もちろん、あなたのような女性が問題で、あけっぴろげで浮気な女じゃない。
 結婚とは社会的に大きな価値、法的に大きな価値があるけれど、僕の目には道徳的にはわずかな価値しか認められない。一般的な状況を考えてみるならば。
 だから、この法的な絆に結び付けられ、でも夫を愛していないし、愛することのできない女性が、心は自由で、気に入る男性に出会って身を任せた時には、しばられていない男性がそんな風に女性を得た時には、二人はお互いに約束を交わしたのであり、それは市庁舎の三色綬の前での「はい」以上に、相互の自由な同意に基づくものなんだ。
(中略)
 この女性は全てを危険にさらす。そしてまさしく彼女はそれを知っているから、彼女はすべてを、心も、体も、魂も、名誉も、人生も与えたのだから、彼女はあらゆる悲惨、危険、破局を予感しているから、彼女は大胆な、勇敢な行為を行ったのだから、彼女には心構えがあり、すべてに、彼女を殺すこともできる夫や、彼女を追い出すこともできる社会に立ち向かう決心ができているのだから、それ故に夫婦間の不貞においても彼女は尊敬に値し、それ故に彼女の愛人は、彼女とともにある以上、何があっても同じようにすべてを予見し、すべてに備えていなければならないんだ。
(873ページ)

このお話にはオチがあるのだけれど、それは言わずが花というもので。
素直にとればちょっといい話(たぶん)であるが、
フォレスチエ先生は冷静に、策略を女の本能とみる作者の女性観に触れ、ショーペンハウエルを引用している。
一方、ここ数日の作品選択は実は
Chantal Jennings, "La dualité de Maupassant : son attitude envers la femme", Revue des sciences humaines, octobre-décembre 1970, p. 559-578.
に倣っていたのだけれど、「真の不倫女性礼賛」を読みとっている。
ジャックの言葉を即作者の主張とするのは今では素朴に過ぎるというものではある。が、
結婚制度批判はクロニックでもあちこちに出てくるので、その辺は疑う必要もないところだろう。
当時の法律がどうなっていたか、今ちょっとつまびらかにしないけれども、姦通罪は女性のみに
適応だったはずと思う。男はなにやっても許されるが、女性の不貞は断固許されない、という社会だった
ということは、この辺の問題を考える時に忘れてはいけない。夫は妻を殺したってたいした
罪にはならなかったどころか、「名誉挽回」とほめられたという。
だからクリスチアーヌもロラン夫人もアニーみんな
大変なリスクを負って、自分の幸福を賭けているのだ。
そういう女性をたくさん描いた、ということが、だからモーパッサンが女性読者に受け入れられた
ということと密接につながっているのは、多くの人が指摘する通りで、疑いない。
自然主義作家、とくにゾラはかつてたいそう女性に人気がなかった。)
とりあえずまあ、そういう話である。