えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

モーパッサンとサラ・ベルナール

さて、お話はいつものようにモーパッサンである。
1878年初頭、ようやく書き上げた韻文歴史劇『レチュヌ伯爵夫人』の原稿をどうするか。
フロベールはコメ・フラ支配人ぺランに渡すことを請け負ってくれる。一方でゾラが
サラ・ベルナールに渡す役割を引き受けてくれた。ゾラとサラとの関係は前年5月。
『獲物の分け前』を読んだ彼女が、ぜひ自分用に劇にしてくれと頼んだのがきっかけだった。
彼女がモーパッサンの劇を気に入れば、支配人にプッシュしてくれるだろうと期待したわけである。
ついでに言えば1872年、ルイ・ブイエの遺作『マドモワゼル・アイセ』を彼女が主役で演じているが、
上演に奔走したフロベールが演出にも関わっていたから、フロベールも早くから彼女を知っていた。
そういう話がある。
モーパッサンは2月に自身、サラと顔を合わせている。彼女は大変に親切で親切すぎるほどだった
と彼は報告している。彼女は一幕しか読んでいないというけれど、それさえ本当に読んだのだろうか?
いずれにせよ支配人に勧める旨を彼女は請け負ったという。ただし、当時の彼女に決定権はないけれども。


実際には話はそれっきり。4月に入って最終的な却下の通知が届き、支配人いうところでは
「二幕が暴力的で残酷すぎる」から、この芝居を受け入れるような劇場はないだろう、という。
「そうだろうと思っていたから全然驚かないけれど」とモーパッサンはコメントしている。
ま、それだけのことなのではあるが、まさしく当時、サラは『エルナニ』の上演の真っ最中だった
ということを誰も指摘していないのは勿体ないというものである。間違いなく、サラ・ベルナール
当時パリで最も評判の高い女優だった。しかも、いやしかし、彼女は当代きってのロマン派女優だった。
ここにモーパッサンの戦略は致命的な問題をはらんでいるように思われる。
もっともモーパッサンマクベス夫人ともいうべきレチュヌ伯爵夫人は、ある意味でサラ・ベルナール
にこそ相応しい役柄であるように、一見思われる。
しかしモーパッサンの劇は決定的なまでにロマン主義と決裂している。ここにはロマン主義的な崇高さ
は存在しないし、伯爵夫人は個人の欲望の成就のために、一切の道徳的理念を顧みない女性だ。
おまけに彼女の遺体は最後に窓の外に放り出されるのである。
そんな芝居をサラが喜ぶはずがない。絶対にないと思う。
ま、確かに『獲物の分け前』のルネもそういう女性であるといえばいえる。しかしどうなんだ。


もしもモーパッサンが『エルナニ』のような芝居を書いていて、サラがぞっこん惚れ込んでたら、
ドレや後のジャン・リシュパンのような体験を、モーパッサンがすることになったかもしれない
と想像してみるのは楽しくなくもないが、しかしまあかなう相手ではあるまかろう。
かつての恨みがあってかなかってか、1881年サラが凱旋帰国を果たした折に、モーパッサン
時評文をしるし、庶民の熱狂的な歓迎を諷刺している。

 私はこの偉大な才能を持った女優を愛しているが、その才能はもっぱら声にあり、おとぎ話の中の猫の魔力が尻尾にあるようなものである。この声は、人の言うところでは、黄金の声である。ここには、その声が所有者に多くの収益をもたらすということを示すイメージがあると私は思う。それは、ロベール・マケール風に、繊細な芸術家が自分の声で自分の望むものを作り出すのではなく、反対に、彼女が唯一の仕方で、いつでも同じように、あらゆる芝居、あらゆる役柄で、その声を用いるからなのである。
「熱狂と大げさな演技」1881年5月19日「ゴーロワ」紙。
"Enthousiasme et cabotinage", in Guy de Maupassant, Chroniques, U.G.E., coll. "10/18", 1980, t. I, p. 224.

はっきり言えば「大根役者」だと言うているのである。
ところで、その「黄金の声」を聴けないものかとネットで探して、
14 février 1907 | Sarah Bernhardt première femme professeur au Conservatoire - Terres de femmes
見つかったのは、1903年収録の『フェードル』の一節。
ま、聴いたことのある人はみなさんおっしゃるように、えー、これがー、という感じがするのではある
けれども。