えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

終われり

Fini, 1885
ゴーロワ、7月27日、『行商人』初収録。
「ヴォルール」8月27日再録。

ロルムラン伯爵は鏡を前に服を着替えたところ。頭は白いがまだ十分に男前でお腹も出ていないことに
満足し、「ロルムランはまだ生きている!」と呟く。
それからサロンに入って届いた手紙に目をむけ、誰からのものかと思いを馳せる。
中に一通、見覚えのある筆跡の手紙。開封してみると、かつての愛人リーズ・ド・ヴァンスからのものだった。
夫とともに田舎に引き籠って25年。夫が亡くなり、娘を連れてパリに戻ったという知らせ。
ぜひ会いにきてくれという彼女の言葉に、ロルムランは胸を騒がせる。

 もし生涯に一人の女性を愛したことがあるとすれば、それは彼女、小柄なリーズ、リーズ・ド・ヴァンスだった。髪の毛と澄んだ灰色の瞳がために、「灰の花」と呼んだものだった。おお! なんと繊細で可愛らしく、愛らしい存在だったことだろう、あのか細い男爵夫人、痛風持ちで吹き出物のある老男爵の妻は。彼は彼女を突然に奪い取り、嫉妬がために田舎に閉じ込め、幽閉したのだった。美しいロルムランへの嫉妬のために。
(2巻514-515ページ)

彼はかつての恋愛を思い出してうっとりし、訪問を決意する。
そこで出会ったのは見る陰もなく変わり果てた老女の姿だった。
二人の会話はぎこちなく、進まない。そこで夫人は娘を呼びにやる。
やって来た娘は、かつての夫人と瓜二つだった。ロルムランは動転し、かつての夫人と、今目にする娘とを
混同しかねないほど。そして彼の胸にかつての恋の炎が再びくすぶらんとする・・・。


当時『ベラミ』執筆中のモーパッサンの頭にはワルテル夫人と娘シュザンヌのことがあったろうと指摘
するフォレスチエ先生は、もちろんここに『死の如く強し』のテーマが既に現われていることを見逃さない。
老いのテーマが顕著になるのは1884年からだともいう。もっとも遡れば既に一幕劇「昔がたり」は
過去の恋愛を哀惜する物語だ。戻らない過去というテーマは早くから登場していると言える。
ここでは「ロルムランは終われり!」という悲痛な末尾が、冒頭と鮮やかなコントラストを成している。
これを発展させ、簡単に断念できない煩悶を描いたのが『死の如く強し』ということになるだろう。
親と子、という観点から見ることもできる。とにかくモーパッサンの作品では、遺伝というのは
外面にくっきり出る。ゾラのように内的な傾向が遺伝するというような見方はそれほど見られない
けれど、モーパッサンもやっぱり「遺伝」の時代の作家ではある。『ピエールとジャン』は典型的だ。
その遺伝による親子の類似、あるいは子における親の再生というテーマを、時間と老いのテーマと結びつけ
たところに、モーパッサンの独創があった。繰り返す世界の中で、個人は年を取りいつか死を迎えるのみ。
過去と現在、老いと若さ。単純な対立項が人生の残酷さをあからさまにまで照らし出す。
30代のモーパッサンがそういうテーマを執拗なまでに追い続けたということの意味は何だろう。
病気の進行が彼に老いと死とを強く意識させることになったのは、やはり疑いないというべきか。
人生は残酷なものである。とモーパッサンの作品ははっきりと告げ知らせる。その残酷さを
直視する強さを彼は持っていたし、持つべきだと彼の作品は語っているように思う。
ところでロルムランはリーズ Lise を愛称として Lison と呼ぶ。それは『女の一生』のリゾンおばさん
と同じである。「失われた愛を哀惜する老女」という点で二人は同じだと、これまたフォレスチエ先生のお言葉。