えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

戦後少女マンガ史

とかいいながら読書ははかどっていたりするわけですが。
米沢嘉博『戦後少女マンガ史』ちくま文庫、2007年。
1980年刊行の「著者の伝説のデビュー作」の再刊。
なにが凄いって戦後35年間の少女マンガを全部読んでいるのではないかと思わせる情報の膨大さ。
著者は男性であることを弁解しておられるが、しかしそのおかげもあってか、記述は詳しくとも
常に冷静さと客観性を失わず(しばしば抒情的ではある)、それ故に百パーセントの素人の私でも
ふむふむなるほどー、と思って読めるのである。そしてその分析のあちこちに、歴史の叙述を超えて
少女マンガとは、あるいはマンガとは何であるかの洞察が散りばめられている。
いくつか目に留った箇所を引用。まずは「西谷祥子ショック」を語ったくだり。

 それまでの少女マンガの主要テーマであった「幸せ」は「すてきな男の子と結びあうこと」の幸せへと変化する。それは保護される立場であった少女が、一人の少女として自立することでもあったのだ。いや、子供から大人へと言ってもよい。少なくとも、運命に左右され、自らの居る場所を求めてさまよう少女から、生活する少女が幸せを自ら求めるという形に変わったことはまちがいなかった。(166ページ)

ついで「70年代少女マンガの夜明け」に関する一節。

 これらの問題意識を持ったリアリズム指向の作品は、明らかに「七〇年」という時期のためであったのかもしれない。そしてその方向性は「少女マンガ」の解体と「女性劇画」の出現を示唆していた。少女マンガにとって一番描かれなければならなかったのは、「少女」であったはずだ。だが、作品行為を表現として自らをも追求していこうとする描き手達にとっては、それは既に少女マンガでなくてもよかったのかもしれない。(212ページ)

そして「りぼん」を核とする「おとめちっくロマン」について。

 なぜ少女マンガのスタイルは高橋真琴の絵からの増殖であり得たかというのは、少女達にとって真に少女マンガの夢へと誘うのは、プリンセス、少女スターという言葉であり、流れるような長い髪、きらきらと輝く瞳、フリルのドレス、フランス風の家具というディテールであったことだ。それらの内包する「少女」の夢に酔うことで「少女」であろうとする思いこそ、読者なのだ。恋のときめきも愛のドラマも、不幸な少女も全て、その思いを味わうための「少女らしさ」の一つにすぎない。――少女のみが味わえる甘やかな夢とは、つまるところ「少女」であろうとする意志が選びとった「物あるいは言葉」なのかもしれない。(269-270ページ)

という感じで、少女マンガとは何でありえるのかの追求としての35年間は
「少女幻想」を核におきながらも、その変革、逸脱、回帰をとめどもなく繰り返す。それも物凄く速いスピードで。
という歴史が展望されてゆくのである。実に立派な仕事に頭が下がる。
この本は間違いなく売れるだろうから、三部作の残り二作も遠からず文庫になるでしょう。楽しみに
しております。