えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

一晩出ろ、とは何か

それでは改めて「モオパツサン」と入れてみようじゃないですか。


1. 戦塵 / ギイ・ド・モオパツサン著他,如山堂書店, 大正4
2. 泰西名著集 / 馬場孤蝶訳,如山堂, 明40.7


おおおお。とまた吠えてしまうのでありますが、こりはまた凄い。1も翻訳は馬場孤蝶であり、「戦塵」は
原名ブウル・ド・スイフとあって、主人公名は最初に(脂肪の球)とされる以外はブウル・ド・スイフだ。
はて、「脂肪の塊」の初訳だったかな(明治43年5・8月「三田文学」初出)。

 新時代の人士は、俗習に反抗する意気なかるべからず、不正を憤るの念強からざるべからず。この譯篇は、現代の不平ある人士の一読を仰ぎ度い。
千九百十五年一月
馬場狐蝶
(はしがき)

うーん。こういうのがたまりませんな。
訳文は大層読みやすい。立派なもんです。
さて、大正の始めといえば『女の一生』の翻訳が発禁になったりしまくっていたご時世の話である。広津和郎
お金欲しくてこの本を訳して、いろいろあったけど結局はたいそう儲かったらしい。『女の一生』の訳題は、
最初参照した英訳が A Woman's life だったためで、後のちまでそれが踏襲されることになった。
(『年月のあしおと』講談社文芸文庫、上巻に書かれている。)
てなことはともかく、「脂肪の塊」も検閲の点では相当問題ある作品である。
よく無事だったね。ということで際どい(というかそのまんま)の箇所を参照。

何様(どん)な用だてんですか。何んな用だてんですか。彼奴(あいつ)ア私に一晩出ろつてんですわよ」
とブウル・ド・スイフは、叫んだ。
(118ページ)

なるほどー。「一晩出ろ」はうまい訳である。ちなみに原文はこうである。

Ce qu'il veut ?... ce qu'il veut?... Il veut coucher avec moi !
(1巻107ページ)

このストレートさがたいへん重要なのであることをお断りしておきたい。
ブルジョア的見地からは「はしたない」この一文。しかしここには嘘も偽りもなんにもない。そういうことだね。
せっかくなので新旧岩波文庫訳を見る。しかし私ももの好きだ。

あいつの考えてること?・・・あいつの考えてること?・・・あたしと一しょに寝たいんですとさ。
『脂肪の塊』水野亮 訳、岩波文庫、1957年改版(1994年63刷)

あいつが望んでいることですって?・・・したいことですって?・・・あいつはわたしと寝たいのよ。
『脂肪のかたまり』高山鉄男 訳、岩波文庫、2004年。

ま、同じといえば同じではある。「あたし」か「わたし」。でもどうして「!」をつけないのだろう。
水野訳はちと弱い。高山訳もまだ一人言的に思える。その点馬場訳は見事だ。爆発感がちゃんと出ている。
してみると「直訳」かどうかは、ニュアンスを移すこととは必ずしもリンクしない、ということかも
しれない。「一晩出ろ」は明らかに検閲を意識したぼかしであると思うけれど、でも「感じ」は
一番出ているように見えたりするのであります。ちょっと激昂しすぎかもしんないけど。


『泰西名著集』にはツルゲーネフバルザック、モォパッサン、ドデエときて、最後がなぜかシェンキイウイッチ。
モーパッサンだけ4編で「月夜」「鐘の音」(「フィフィ嬢」)「負債」「月影」。
で、実はこの「負債」が久し振りにご対面の偽作なのだ。わお。
客引きをする23歳の美女フワニイが、客と思って声をかけたのは12歳ほどの子供のフランソア。金も
なく二日も食べていないという。彼女は家に連れ帰って食事を与える。翌日稼ぎに出たフワニイは
禁制区域にいたとして逮捕される。子供は部屋も追い出され、
「又哀れな宿無しの境界に立ち戻つたのである。」(117ページ)。
それから十五年経って、新進の画家フランソア・ゲルランは、大女優フワニイ・クレエレエが
病で施療院に入れられたことを知って・・・。
という、変な落ちを除けば「ええ話」である。Fanny という名前もらしくないが、やたらに美人が強調
される人物造形ももう一つモーパッサンぽくない。
ついでにいうと女優の描写はいかにも「ナナ」である。病気は明らかに梅毒らしい。
馬場狐蝶は大正3年に『モウパッサン傑作集』を出してもいるらしい。これも出ないかなあ。


それはそうと、「モウパツサン」と「モオパツサン」と「モーパッサン」でちゃんと検索結果が違う
というのは機械的には「正しい」けれども人間的には「不完全」というものではなかろうか。
困ったもんである。