えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

流れついた人々

Épaves, 1881
「ゴーロワ」12月9日。シュミット版初収録。

 私はよそ者の発った後の十二月の海が好きだ。もっとも、もちろんのこと、ごくあっさりと好きだというわけだけれど。私は、夏の保養地と呼ばれる土地に三日ばかり滞在しにやって来たのだった。
(1巻324ページ)

 冬の海辺の様子を語り、日没後に漁に出る男たちを見送った後、語り手は一人の男と、一家族に出会う。

 皆が去った後にこんな風に残っている者たちは誰なのだろうか?
 それは夏の漂着物だ。どこの浜辺にもそうした者たちがいるものだ。
(325ページ)

その土地でのみ知られる「有名人」、落ちぶれた芸術家の姿が描写され、
男はリヴォワルという名のヴァイオリニスト。家族は毎年時節はずれになるとやって来るボタネ一家と
知らされる。語り手は闇に消える彼らの姿を見送る。

 上って来た月は初めは赤く、空に昇ってゆくにつれて青ざめ、波の泡の上に青白く、消えてはまた瞬く光を注いでいた。
 単調な波音が思考を麻痺させ、限りない悲しみの念が、大地、海、そして空の無限の孤独から訪れて来た。
(328ページ)

最後に浜辺にイギリス人の娘達を目にし、どこの浜辺にも彼女達の姿があると締めくくる。


なんとも物静かで沈鬱なこの一編、コントというよりクロニックにはるかに近いものだ。
舞台となっている海辺の町は、モーパッサンの故郷エトルタだとフォレスチエ先生は注釈している。
出てくる人物にもモデルがあったのかもしれない。
過去形で語られる語りに現在形の叙述が混ざって、個別の事例と一般論との間を微妙に漂うような
語りが独特な印象を残すものになっているようだ。
時節外れの避暑地に残る売れない「有名人」のカリカチュアではあるけれど、冬の海の陰鬱な感じ
と相まって、むしろ悲哀を感じさせて余韻が深い作品。
とはいえ無名な芸術家が最も恐れるのは「無名なアカデミー会員」の到来である、
というようなところに皮肉が利いてもいる。
「観察」と「描写」がモーパッサンの短編の要であることを思うと、筋のないこういう作品にこそ
それがはっきりと窺われることになる、という意味でも興味深い一編かもしれない。