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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

初恋

トゥルゲーネフ『初恋』沼野恭子 訳、光文社古典新訳文庫、2007年(2刷)
私によく分からないのは、
翻訳者が断言しているので弱ってしまうのだけれども、
「ジナイーダの初恋の相手がウラジミールの父」だった、というのでいいのだろうか、ということ。
確かに「私」は彼女が恋をしていると推測する。彼女の言動もその線で理解できるように
思えなくもない。
でも最終的に彼女は別の男と結婚し、その知らせが(多分)父親をショックで死に到らしめる。
ではルーシンが彼女は「自分を犠牲にすることに喜び」を感じている、というのはどういう意味なのだろう。
父親が彼女に惚れていたのは確かで、貧しい公爵夫人に「手形」という形で資金援助をしていたらしい。
ならば彼は「見返り」に娘を要求したということではなかったのだろうか。
だからといって、では彼女が本当に愛していた相手が「私」であったかというと、それほど単純でもないような気がして、
結局、子供である「私」の目には情報は間接的、断片的にしか伝えられず、大人の世界は謎のまま
である、ということなのかもしれない。いずれにせよジナイーダの胸の内が
「私」にとって謎のままだったということは確かなのだろう。

 初恋というのは人によってさまざまだが、多くその時期は青春の初め、その性格はプラトニック、その結果は不成功、と規定することが出来るだろう。
(同上)

変わらずに気恥ずかしいが、ウラジミール君はその典型にぴったり当てはまっている。
で、この小説の要は初恋がもたらす喜びと悲しみとその他もろもろの感情をひとまとめに全部体験した
というそのことにあって、「私」を子供に設定することで、思春期特有の自意識過剰ぶりが
(フランスのロマン主義はそんなのばっかな気がしますが)ここでは捨象されているから、
爽やかで切ない読後感が残る、ということにある。からまあ細かいといえば細かいことはどうでも
いいと言えばいいようなものではあろう。
つまるところ、一番みじめなのはベロヴゾーロフ君である。
もてない男は徹底的にもてないのだ。


あえて「です・ます」調で訳したという翻訳はたいそう流麗で読みやすく好ましいでした。
「トゥルゲーネフ」の方がむしろロシア語原音に近いというのに、そうかーと頷く。
イワン・トゥルゲーネフというのが、そうすると今後は定型になってゆくかもしれない。
以上、補足なり。