えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

学会誌を読もう(1)

そういうわけで、おもむろに個人的に「学会誌を読もう」キャンペーンを展開する。
研究者的書評でなく、基本(素人)褒め褒めモードのつもりなので(でも私利とは無縁よ)、間違いがあっても
ご海容にお願いいたします。


Atsuko Tamada, "L'amour de la terreur et l'esthétique "libertine": deux motifs dégradant la notion de sublime au XVIIIème siècle", p. 3-19.
何が凄いって知らない名前がじゃんじゃん出てくるところがまず凄い。
「崇高」という美学用語は17・18世紀文芸には不可欠ながら、明確に定義することは難しい。
本論文はこの語の17世紀イギリス、フランス双方における定義のされ方を踏まえた上で、それが
18世紀フランスのレトリックの領域に取り込まれていく際に、リベルタンの思想(安逸と快楽を!)
が多分に関与し、本来の宗教的意味を失って「堕落」していく経過を、18世紀のレトリック論者の文献を
広く検討して明らかにするものだ(と思う)。堅実な研究姿勢を褒めたい。古典主義時代の文学・美学
に関心のある人は要チェック!
一点欲を言えば、「だから何なのか」と最後に一段次数を上げてもう少し広い展望を示してほしいところではなかったかな。


Daisuke Kataoka, "Chateaubriand, les sauvages américains et les esclaves noirs", p. 20-34.
シャトーブリアンが北アメリカ原住民に同情の意を表明するのは何故なのか。その背景には植民地を
失ったフランスのアングロサクソンへの露骨な恨みの念がこめられていた。
という前半の話がまずは興味深い。ではその彼は奴隷制度に対してどのような態度を示したかといえば、
これは一貫して婉曲的奴隷制擁護の立場にあったといい、政治家としてフランス国家の利益の擁護が
その動機として存在した。ということを論じたもの(と思う)。
最新の研究動向を汲んだ上でのポストコロニアル批評とはこういうものかと納得の一本。政治・経済
社会制度もろもろの背景の上にこそテクストは書かれるということがよく理解できる。
ごりごりの文学よりの私としてはここには「文学」の影が薄いことが多少残念に思わないではないのだけれど、
シャトーブリアンの政治的論考に視線を向けることには十分な意味があるはずだ。


Daichi Hirota, "Le blanc dans le vers beaudelairien", p. 35-51.
『悪の花』初版と第二版の違いは何か。この問いには既に数多の解答があるのだろうけれど、
論者はそれに一個の新しい視線を投げかける。それは二版において複数の部分に分割された詩が
登場するという発見だ。この着眼はなかなか鋭く興味深い。初版には形式と調和を旨とする美学が
支配的だったの対し、二版においてはその超克が志されているというのだ。
そのことの意味を論者は分割によって生まれる「空白」に込められた象徴的意味に見てとろうと
するのだけれど、この辺りの論旨はもう少しすっきりしたものにならなかったか、と思わなくもない。
ページの上に印刷される視覚的効果を、ボードレールと彼の同時代詩人がどれだけ意識していたか
という結論部の問いかけもなかなか示唆に富んでいる(と思われる)。


というわけでとりあえず盛りだくさんの50ページ。
当たり前のことながら学会誌には私の知らないこと(だけ)がぎっしり詰まっているので、
いやもう、面白くてたまんないね!