えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

学会誌を読もう(2)

そういうわけで続き。

Hiroko Teramoto, "Poétiue de l'opacification chez Flaubert", p. 52-66.
『感情教育』ではしばしば、地の文中に登場人物の言葉がギュメで引用される。
言語の指示対象ではなく言語そのものを指示させる機能を「不透明化」という用語で論者は説明する。
もっとも「」で引用される登場人物の言葉に、作者が皮肉な意図を込めていることは容易に理解
されるわけだけれど、この論文のポイントは、フロベールが残した膨大な草稿を視野に収めている
ところにある。そこから分かるのは、この種の引用はほとんどシステマティックに「後から」
原稿に書き加えられているという事実であり、そのことからフロベール詩学」の一端が明確に
される。何度も書き換えながら文章を練り上げていく作者の姿がくっきりと浮かび上がるのだ。
個人的には、動詞の活用も間違えてる10歳の子供にして、既に他人の「愚かな言動」にフロベール
関心を寄せていたという枕の一節が楽しすぎる。


Torahiko Terada, "L'Œuvre" d'Emile Zola et le salon de 1868", p. 67-78.
ゾラ『制作』(ないし『作品』)の主人公クロードといえばモデルはマネとセザンヌというのが通説だ。
しかし本論はタイトル通り1868年のサロンに関わったかつての青年ゾラを問題にする。このサロンにおいて
作中にも描かれる審査員選出法の改革が成され物議をかもした上に、有名なマネによるゾラの肖像画が出品
されたのでもあった。そして当時ゾラはマネに代表される新しい流派を積極的に擁護する批評家として有名
であり、画家たちと同時に彼自身もが激しい非難の的となったのだった。当時の絵画批評によってその事実を
確認した上で、論者は『制作』第五章のクロードの描く絵画と「ゾラの肖像」に類似点を見出し、
クロードの造形にはかつて新流派擁護に果敢に戦ったゾラ自身の思い出が投影されていると結論する。
1868年当時、まさしく「ナチュラリスム」の名においてゾラが絵画の新流派の擁護者と目されていた
という指摘は実に興味深い。十分納得の議論の上で改めて気になるのは、作中あからさまに成功を
収める作家サンドーズの存在だ。彼には明らかにゾラ自身のイメージが投影されているという事実の意味も
ここから再考されうるのではないか、というような気がする。


Koji Sakamaki, "« Notes sur le théâtre » de Mallarmé ou l'avènment de la critique comme « action »", p. 79-94.
1860年代孤独に詩作を行うマラルメにとって「他者」は不在だった。しかし普仏戦争後にパリに上京した後、
マラルメはジャーナリズム、劇場、そして都市にひしめく群衆を発見する。雑誌「最新流行」刊行の裏にあった
のは読者たるべき「他者」の発見と、彼らへの呼びかけの試みだった。論者は1887年に連載されたマラルメ
劇評を取り上げ、そこに現れる「あなた方」の呼称に注目する。今だ不確かではありながらも、「他者」への
呼びかけの声がそこに読み取れるのではないかというのだ。さらに論者はハンナ・アーレントを援用し、
Labor, Workと異なる人間の活動の在り方としてのActionこそが、後期マラルメの活動だったとし、その
思想の発展を1895年、文字通り「アクシオン」と題された記事の内に見る。テロリズムのような具体的な
行為ではなく、他者に働きかけることを目的とする限定的な「アクシオン」は、その実現を演劇に託される
ことになる。群衆との間に夢見られる未来の「祝祭」がそれだ。従って、87年に綴られた一連の劇評こそ、
「共同体」を志向する後期マラルメの端緒を成すものだった、という論旨(と思うんだけど)。
論者自身のnousの使用がやや多すぎるのではという印象と、前半のジャーナリズムに関する件は詳しく
検討する余地がある、という2点を除けば後は成程の一本。あの(どの?)マラルメが他者と共同体へ
視線を向けていたという指摘は実に興味深く思われるのである。


ということでようやく90ページ強。いやもう大変です。面白くて。