えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ルーゴン=マッカールについて思うこと

Les Rougon-Macquart とあれば『ルーゴン=マッカール叢書』
と訳すのが相場である。けれど厳密に言うなら、これは「ルーゴンおよびマッカール家の人々」の意味で
「叢書」というのはどこにも書いてない。そのことに気づくと、Les Thibault なるタイトルで、
マルタン・デュ・ガールは堂々とゾラの向こうを張ったのだね、ということなどが
理解されるのだ。で、『ルーゴン=マッカール家の人々』の副題は、
Histoire naturelle et sociale d'une famille sous le second Empire であって、
第二帝政下の一家族における自然的社会的歴史」というのがおよその決まり訳のようだ。
場合によっては「物語」と訳す人もいる。もちろん両方の意味があるのだけれど、くっついてる
形容詞から考えたら「歴史」の意味合いの方が強かろう。
それはともかく「自然的歴史」ってなんですか。
と思うのである。自然に歴史はあるのだろうか。
histoire naturelle は伝統的に「博物学」のことだとは
もちろんみんな知っている。ゾラはその意を踏まえた上で、sociale の語をくっつけることで「歴史」という
意味を残している。要するに「博物学的」に人間を遺伝と本能という「動物的側面」から描くと同時に、
「人間的側面」を「社会的」なものと位置づけた上で、その面からの考察も付け加え、それを第二帝政
20年間という限定された「歴史」の相の下に眺めますよ、ということだな。そこには「身体」と「精神」の
古式ゆかしい二元論の反映がちゃんとありつつ、「身体」を疎かにしない、
というよりむしろそちらに重点を置くところに意味があったと。であれば
第二帝政下における一家族の博物誌および社会史」ないし
第二帝政下における一家族の博物学的社会史」
というような感じにならないだろうか、
とまあ思ってみただけのことなんだけれども。