えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

今日はなにをしたのだろう

か分からないまま一日が過ぎるとむなしいので気をつけよう。
気をとりなおして自分の荷風論の校正。引用間違いにのけぞる。
明治41年4月17日西村恵次郎(渚山)宛書簡は、『断腸亭尺牘』にも収められているので
注意しないといけません。しかも異同がありますから。
なんと。荷風は書簡集出版の際に「推敲」を行っているのである。さすがだ。
些細とはいえ考えさせられるのはこういう例。

吾人は只だ実感をもて、人生を見る、此れ丈けで、実感をもて見た人生が、如何に忠実に現はされて居るか否かによつて、作品の価値は定まると思ふ。今日では、もう形式や流派はない。自分は自分の見た人生を忠実に現はすより他にたよる処はない。
(『荷風全集』第27巻、岩波書店、1992年、130ページ)

これが『尺牘』だとこうなる。

吾人は只実感をもて人生を見る、此れだけだ。実感をもて見た人生が如何に忠実に現はされて居るか否かによつて作品の価値は定まると思ふ。今日ではもう形式や流派はない。自分は自分のみだ。人生を忠実に現はすより他にたよる処はない。
(同、25-26ページ)

「自分は自分の見た人生を」が、「自分は自分のみだ。人生を」に変わっている。うむむむ。
ここにおいて「個人主義」が一層強まっているのである
というのは大げさであるけれども、なかなか油断がなりません。
それはともかく、この文の後にモーパッサン礼賛の文が続くのでもあり、この書簡はたいそう
重要なのであります。