えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

蒲団

田山花袋『蒲団・一兵卒』岩波文庫、2002年(改版1刷)
率直に申し上げてあんまり上手ではない。

作品としての完成度からいえば、「今読んだら稚拙凡庸」(白鳥)などと言うのはいささか極端にしても、主人公への批判的な造型力不足からくる不透明で濁った感じ、それと無関係ではない叙述の感傷性や誇張された露悪性をはじめ、妻、芳子、田中の形象の浅さなど、欠陥といえる面も決して少なくはない。
相馬庸郎「解説」、147ページ。

まったくその通りだと思う。が、しかしである。

にもかかわらず、ここに「ある種のリアリティ」が新しく創出されているからこそ、「蒲団」が、例の私小説の発生という文学史上の問題とからむ形で、その後も長く問題にされ続けることになったのである。
(同)

これもまったくその通りなわけである。
それはともかく、明治34年の「西花余香」から37年の「露骨なる描写」
そして40年の『蒲団』と一本の線を引けるならば、

(略)モーパッサンと花袋との影響関係を論ずることは、いわば我国自然主義文学史の重要なひとこまを語ることでもある。
大西忠雄「モーパッサンとその日本への影響」、河内清編『自然主義文学―各国における展開―』勁草書房、1962年、332ページ。

ということになる。仮にそうであったとした場合に、では花袋のモーパッサン理解は
どのようなものであったか、が問われるわけだけれども、

(略)花袋以下日本自然派に摂取されたモーパッサンは、その多彩な思想や様式の一面である、露骨な性欲描写に集中し、しかもその一面を日本的に変質、解釈することから始められたのである。
伊狩章「モーパッサンと日本文学―自然主義を中心に―」『國文学』、1961年6月号、63ページ。

というところから「花袋は遂に近代リアリズムの精神を把握できなかった」(65ページ)と、その受容の
偏向を批判的に見る、というのが比較文学における常道となっているのである。おおよそ。
(伊狩章はモーパッサンに「露骨な性欲描写」があるという点で花袋と認識を同じくしているという
ところに既に問題がある、と私は思うのだけれど、それはまあ今はいい。)


『蒲団』にはところで、モーパッサンが2回出てくる、ということを確認しておこう。
『死の如く強し』と短編「父」だ。

 芳子が出て行った後、時雄は急に険しい難かしい顔になった。「自分に・・・自分に、この恋の世話が出来るだろうか、」独りで胸に反問した。「若い鳥は若い鳥でなくては駄目だ。自分らはもうこの若い鳥を引く美しい羽を持っていない。」こう思うと、言うに言われぬ寂しさがひしと胸を襲った。「妻と子―家庭の快楽だと人は言うが、それに何の意味がある。子供のために生存している妻は生存の意味があろうが、妻を子に奪われ、子を妻に奪われた夫はどうして寂寞たらざるを得るか。」時雄はじっと洋灯を見た。
 机の上にはモウパッサンの『死よりも強し』が開かれてあった。(62-63ページ)

わはは。と笑ってしまうのは、作者が大真面目であるようにしか読めないからで、「主人公への批判的な造型力不足」
はどうにも否みがたい。これをして

まったく、最悪としか言いようがない。

とけんもほろろなのが、稲垣直樹『サドから「星の王子さま」へ』丸善ライブラリー、1993年(141ページ)だ。
「おっさん、アホか?」と言いたくなる気持ちは分かるけれども、しかしこれは「あほなおっさん」を描いた小説
なのである。それを認めてあげないことには、話にもならないというもので、稲垣せんせのは批判ではなく悪口
というものだろう。ちと酷というものである。
ま、要するに、妻と若い娘との間で悩む中年男の煩悶が、
愛人とその娘との間の愛に引き裂かれるベルタンに重ねあわされているわけで、
ここでこの作品が挙がってくるということは一応、筋が通っている。
『蒲団』は全編がそれであって、ハウプトマンに始まりツルゲーネフで終わるまで、
時雄君の体験をその都度西欧の小説に重ねあわすことによって、惨めで平凡な中年男の生活を
なんとかロマネスクなものへと昇華させたいという作者の願望が滲み出ているのである。
そのことを正しく批判しているのが新潮文庫解説の福田恒存だけれども、

 おもうに『蒲団』の新奇さにもかかわらず、花袋そのひとは、ほとんど独創性も才能もないひとだったのでしょう。
『蒲団・重右衛門の最後』新潮文庫、2004年(77刷)、219ページ。

とまあ、こちらも容赦ない。こんなにけちょんけちょんで、でもちゃんと生き残っているのだから
『蒲団』はめずらしい小説だ。
このままではオチもなんにもないので最後に私の感想。
『蒲団』は多分セクハラの教科書に向いていると思いました。以上とりあえず。