ついていけてません。
いい加減12月1日の発表原稿を書かないといけないのであれこれ考える。
お題は、
「封じられる女の声―モーパッサン初期作品における女性の表象」
おお、フェミニズムみたい。
対象となるのは戯曲『リュヌ伯爵夫人の裏切り』(1877)、詩篇「田舎のヴィーナス」(1878)、
そして小説『脂肪の塊』(1880)である。
私にとっての問題は「なぜ『脂肪の塊』だったのか」に尽きるといっていい。この作品の
予想外の成功と、その直後のフロベールの死去。そこでモーパッサンは韻文を捨て、戯曲を遠ざけ、
散文作家に変貌を遂げる。確かにそれ以前にも短編の試みがあり、『女の一生』となる長編も書き始め
られていた。けれどもまだ散文一本化という決断は下されていなかったし、詩と演劇こそが創作の中心に
置かれていたことは疑えない。
『脂肪の塊』は作者自身にとってさえ、それが書かれた後に、「発見」されたものだった
というのが私の立てるテーズだ。
そうでなければ、誰にとっても突然の、予想だにされていなかったこの作品の成功の理由は理解できない。
ただちに付け加えるべきことは、79年末において、すべては準備されていたということである。
詩と劇作の試行錯誤は、作者の文学的ヴィジョンと、それを実現する技法とを既に彼に備えさせるに
十分なものだった。機は熟していたのである。
ただ内的・外的な条件が一致して一つの作品に結実することは、劇ではありえなかったし、詩においては
ある程度までのものはあったにせよ、何かがまだ欠けていた。
その何かとはなんなのか。
それを、今の私は「社会性」だったと考えている。
70年代のすべての作品において、欠落ないしは意図的に排除されていたものがそれに他ならない。
そこには個人があり、男女の関係を主に、二者の関係はもちろん存在した。
けれども社会の存在は見えてこない。第三者の不在の世界に詩人モーパッサンは留まりつづけた。
(そのことは大なり小なり『女の一生』にも反映しているはずだ。)
「普仏戦争を主題に、脱愛国主義的な作品を書く」という自然主義のプログラムという外的要請が
初めて、モーパッサンの作品に「社会」を導入させた。
作者個人の声を排せという「非人称」の美学はそもそもフロベールに倣うものに他ならない。結局、
その美学の効果が最大限に発揮されるのは、人間の世界から一定の距離を置いて眺める視線の
ありようと、それが批判的、あるいは諷刺的に眺めるその世界そのものの存在を抜きにはありえなかった。
当たり前といえば当たり前のことかもしれず、バルザック以来の小説はすべてその方向へと向かって
いくことになったのであるだろう。
けれども、それがモーパッサンにとって「発見」であったことには代わりはないはずだ。