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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

引用は何語でするのか

文学研究

それはそうと思うことを記しておく。
日本語で論文書くときにあなたは欧文引用をどのように処理しますか
というささやかな問題について。
そんなもんケース・バイ・ケースであるわいな、という話ではある。
まったく個人的にはしかし、
日本語の論文中にフランス語原文が出てくると、なんか読むのがしんどい
ということがある。シフト・チェンジがめんどうというかなんというか。
もちろん原語のニュアンスが大切である場合はそれでいい。
しかし場合によっては引用を原文で引くことは
「解釈」をパスすることにはなっていないか
それは手抜きにはなっていないのか、と思うこともある。
たとえ日本人であっても、日本語で書くのとフランス語で書くのとは
同じではないはずで、そうであるなら、「日本語で書く」ということの
意味を明確に定めるなら、引用もまた翻訳されるべきではないのか
と私は個人的に考える。
それは別に、フランス語を知らない人にも読んでもらえるように
という配慮ではない。そうではなく、日本語でフランス文学について論文を書く
ということにもし意味があるとするなら、それは日本語によって考えられた
フランス文学についての論文である、というそのことの内に見出されなければならない。
日本語によってフランス文学を考えるということは、あるい意味ですでにねじれている
という事実を認識しておくのは悪いことではない、と思う。そのねじれを承服するところから
しか日本語で論文なんて書けやしない、のではなかろうか。日本語で論文を書くとは
日本語で解釈を下すということであり、ならば引用に対しても同じように対するのが
筋が通っているように思う。
原文・翻訳併記すればいいではないかという話もないではないが、一にスペースを
とるし、二に怠惰な私が読者なら多分(どうせ)原文をすっ飛ばすだろう。
私が言いたいのは、原文のままの引用こそが、原語に対する尊重のように思うのは
はたして本当にそうなのか、ということだ。
そして今の私は必ずしもそうとは考えない、ということだ。
もちろん、これは私はそう考えるにすぎない、という話である。