えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

詩へのあこがれ

まったくモーパッサンを読んでないことに
突然忸怩たる思いになってみたりしたところでどうにもならないのである。
ところで私はとことん詩の分からない人間であるが、
そういうのを人は「散文的」というのであったりするわけであり、しかし散文的とは
いったい何事か、と強く思ったのは、実は「モーパッサンの詩」というマイナーな
ものについて考えた時であった。
モーパッサンの詩が「散文家の詩」であると最初に喝破したのは、恐らくは
ジュール・ルメートルであり、その評論を細々訳し始めたのだけれど
これがまたえらい長えしなんともペダンチックな代物なのであるが
それはまあよくて、以後えんえん、というかモーパッサンの詩がまだ話題にされていた内は
(死後から1920年頃までかな)この「散文家の詩」vers de prosateur という標語がついて
回ったのである。
しかしそれっていったい何なんだね。
と私は思ったのであるが、このお言葉を使う皆さんも、結局のところ「散文的な詩」
というものが何かを明確には定義していない(と私には見えた)。
他にも色々あるのを捨象して言うなら、結局ところ古式ゆかしい「詩法」を守っていない
ということに行き着くのではないか、というのがその時私の下した結論なのである。
実際「散文家の詩」を言ったのは皆さん保守的な批評家であった。
しかしまあモーパッサンが詩を書いていたのはまがりなりにもランボーヴェルレーヌマラルメ
と同時代なのであって、彼等は皆ボードレールの子孫でもあるわけであり、
ごりごりの詩法は既に因習的で古臭いものである、というのが彼らの共通認識であったことを
疑う理由はどこにもないのである。だから一見して「散文家の詩」に見えるモーパッサンの詩句も
時代に置いて考えてみるならば、詩法の刷新の一つの方向性を示唆するものでありえたのである。
しかし詩法に一応則りながら、規則をぼやかして一見のんべんだらりの散文のような詩句を綴る
というモーパッサンのやり方は手ぬるかった、ということは、後の詩の歴史の全体的な方向性を鑑みる
ならこれまた否めないのではある。若いモーパッサンは「詩人」であることに拘っていたし、その拘り
は彼をしてアレクサンドランを手放すことを簡単には許さなかった。句跨りを駆使し、韻をないがしろに
して韻文を硬直性から解き放とうという彼の苦慮は、しかし、容赦なく、はるかにラディカルな形で、
詩法そのものの解体を試みた最前衛の詩人たちの営為の前ではかすんで見えるのも致し方ない。
というような話はまあいいとして、続きはまた今度にしよう。
ま、詩の分からない人間は詩が分からない故に一層詩に憧れをもつ
ということもまあありますよね、という話をするつもりだったのにどうなってんだこれ。
そんな私ではあるがいたく愛好する詩がないわけではなく、
それはたとえば三好達治の「甃の上」だったりするのだけれど、
これはあちこちで引用されているようなので控えておきつつ、
ところで三好達治はまだ著作権が生きているのだよね、というようなことも斜めに見つつ
これまた昔に出会っておうおうと思った詩句に再会したので、敬意を込めて
そこだけ引用したい。「春の日の感想」より

かくて新らしい季節ははじまった
かくて新らしい出発の帆布は高くかかげられた
人はいふ 日の下に新らしきなし
われらはこたふ 日の下に古きこそなし
(『三好達治詩集』白凰社、1995年(新装版第7刷)、125ページ)


私は別段、若かった自分を回顧しているわけでもなく、
詩集『砂の砦』は昭和21年に出版であり、
この年、作者は46歳だったのである。