えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

黄金狂時代

The Gold Rush, 1925
今回私の観たのはコンラッド・エルファースの音楽を後から足した
あんまりよく分からないヴァージョン。
前記手塚治虫の語りの中に出てきたので気になっておもむろに観る。
手塚治虫チャップリンには欠点がないと絶賛なのだけれど、その要点は
1 大衆に向けた娯楽に徹していること
2 「衣食住」の生活の基本をしっかり描いていること
であり、漫画もまたそうあるべきなのだというのである。
ま、そういう人が『ブッダ』とか『火の鳥』とか描ききるのだから
鵜呑みにしてはいけないのかもしれないと思いつつ。
喜劇映画の傑作であること言を俟たないのでそういうことはおいておくとして
実際問題としてどん底の悲劇的状況であったろう「現実」を題材にとりながら
全編かくも笑えてハッピー・エンドの娯楽作品に仕上がっているということを
改めて考えてみると、それはやっぱり凄いことだよなと思うのだ。
そこで気づくのは、
我々が笑うのは徹頭徹尾チャーリーのどたばたであって、どん底の庶民の生活が
笑いの対象になっているわけではない、ということだ。だからこそ、チャップリンの作品は
かくも嫌味のないものに仕上がることになるのだろう。
じゃあいわば背景に置かれる庶民の生活とは何なのか。
この映画の舞台が「いつかどこか」ではなくゴールド・ラッシュ時代のアラスカであるということ
はもちろんこの映画の完成に不可欠な要素である(と見える)。
私は要するに喜劇映画におけるリアリズムとは何であろうか
ということを漠然と考えてみたい気になったのである。
ではあるがまだ全然なにもまとまらないので、ま、とりあえずこれだけのこと
なんだけれども、一つだけ思うのは、
こういう映画はタフじゃないと撮れないんだろうな、ということなのである。
いろいろな意味において。