えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

猫町

萩原朔太郎猫町 他十七篇』、岩波文庫、2007年(13刷)
猫町」はたいへん変なお話で印象深い。異様なまでの緊張感が炸裂した瞬間、
猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫が出現するところは実にぞくぞくする。


ところでその次に「ウォーソン夫人の黒猫」という短篇があって、これがまた実に
奇怪なお話なのである。なんというか大変にポー的であり、もっと広く19世紀の幻想
怪奇小説そのものなのである。これは一体なにごとなのだろうか、と思っていると
最後にこう書かれている。

附記。この物語の主題は、ゼームス教授の心理学書に引例された一実話である。
(46頁)

うーむ、なんだこりゃ。
と話の内容よりむしろ私はこちらが気になってしょうがない。
しかしこれだけの言及では何も分からない。ゼームス教授って誰なんだ。
というわけであれこれ検索をかけてもも一つピンとこないので、
ふと「ゼームス教授」で検索してみる。
するとなんと、漱石せんせいのお出ましではないか。
寒月君の話を受けて迷亭の台詞。

「ハハハハこれは面白い。僕の経験と善く似ているところが奇だ。やはりゼームス教授の材料になるね。人間の感応と云う題で写生文にしたらきっと文壇を驚かすよ。(後略)」
(『吾輩は猫である』『夏目漱石全集』1巻、ちくま文庫、80頁)

ほうほう。で、少し前に戻ると、

「(前略)考えると何でもその時は死神に取り着かれたんだね。ゼームスなどに云わせると副意識下の幽冥界と僕が存在している現実界が一種の因果法によって互に感応したんだろう。実に不思議な事があるものじゃないか」迷亭はすまし返っている。
(76-77頁)

でここに注があって、「William James (1842-1910)アメリカの哲学者・心理学者。プラグマティズムの創始者。」
と書いてあるのである。なるほど。
漱石せんせいとジェームズとの関係は専門的には重要なものであるらしい。それはともかくも、
つまるところウィリアム・ジェームズは大変な著名人なのであった。
「ウォーソン夫人の黒猫」の初出は1929年だから、この頃にも彼の『心理学原理』は読まれて
いたということかもしれないし、朔太郎の特別な関心があったのかもしれない。
原典をつきとめるにはちゃんと探さねばなるまいが、しかしまあ
これでなんとなく落ち着いた気にはなった。というだけのお話。
もしも万が一に、朔太郎研究においてこのことが見落とされていたらなら、
これで論文一本いただきだぜ、というものであるけれど、
よもやそういうことはあるまいし、先行研究をくまなく当たることの方が大変だ。
というわけでこのネタ、ご興味ある方はどうぞご随意にご利用ください。


しかしまあジェームズがこの黒猫の話をどのように説明づけているのか。朔太郎はその
「主題」をどのように利用したのか。というような点は個人的に気になるところだ。
「猫が死ぬか自分が死ぬかだ!」という追い詰められ方はところで牽強付会的ながら「オルラ」
のようでもあり、こういう話が「心理学」の実例として挙げられているということは、一方
19世紀後半の幻想・怪奇小説を考える上では見過ごせないことでもある。フランスではシャルコー
有名ながら、テーヌなんかもこういう話に興味を持っていた。何が言いたいかというと、
モーパッサンのその種の作品は、「オルラ」でさえも、かなりの程度「実証的」なお話として
読まれたものだということだ。私は中編「オルラ」はそのレベルを超えた純文学的創造に
よるものだと考えたいのではあるのだけれど、それも「本当にありえる」話という大原則
の上でのことである。文学と心理学とが近しい関係にあった、ある特殊な一時代の話だ。


翻って朔太郎は、やはりこの「黒猫」に関心を抱いたのであろう。『青猫』で「猫町」なら
当然のことと頷ける。編者、清岡卓行は解説の最後に散文詩「Omegaの瞳」を引いており、さすが
なるほど、と納得しごくな訳であるけれども、いやもうこれには痺れます。
最後の一行。(163頁)

ひとが猫のやうに見える。