えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

批評家たるもの

『ピエールとジャン』は一冊の本にはちと短いので先生なんか書いてください
ということでそいじゃあ書きたいと思っていた「小説」なるものの概論を書きましょう
ということで書かれたのが「序文」がわりに置かれた「小説論」だ。
その冒頭は万年一日、作家に向かって「これは小説ではない」とのたまう批評家とは何様ぞ
という半ばお怒りのお言葉から始まるのだけれど、そこにこういう列挙が出てくる。

 さて、『マノン・レスコー』、『ポールとヴィルジニー』、『ドン・キホーテ』、『危険な関係』、『ウェルテル』、『親和力』、『クラリッサ・ハーロー』、『エミール』、『カンディード』、『サン=マール』、『ルネ』、『三銃士』、『モープラ』、『ゴリオ爺さん』、『いとこベット』、『コロンバ』、『赤と黒』、『モーパン嬢』、『ノートル=ダム・ド・パリ』、『サランボー』、『ボヴァリー夫人』、『アドルフ』、『ド・カモール氏』、『居酒屋』、『サッフォー』等の後で、「これは小説であり、あれはそうではない」と、まだ敢えて書きうる批評家はよほどの慧眼の持主であろうが、その慧眼とは無能さに大変によく似たものである、と私には思われる。
(Maupassant, "Le Roman", in Romans, éd. de Louis Forestier, Gallimard, coll. "Bibliothèque de la Pléiade", 1987, p. 703-704.)

全部で25作品。いやしくも批評家と名乗るならこれぐらい読んでいるんだろうね君、
という言外の兆発ではないかと思われる。うーむ。
ちなみに『ド・カモール氏』というのはオクターヴ・フイエの小説で、これだけは見事に忘却の彼方に置き去りに
なったのであるが、それ以外は(フランスでは)ちゃんと生き残っているのである。
傑作を並べているのだからそりゃそうだろうという話かもしれないけれど、はたしてどうだろうか。
つれづれ眺めていると色々考えさせられるリストであるけれど、あんまり考えると熱が出るのでやめとこう。
さあ、あなたは19世紀フランスにおける文芸批評家になれるかな?
というお話ですが、私はと言えば(もちろん翻訳中心で)13冊でした、という正直な告白つき。
無教養な作家が本能と自分の経験だけを頼りに金銭目当てで小説を書き飛ばした
というゴンクール流の揶揄は、このリストを一覧するだけでも的外れなものであることが
分かるでしょう。
というのがモーパッサン愛好家のつとに主張するところなのであります。