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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

エドモン・アロクール

文学研究

そもそも誰なんだ、アロクールって。
という点に関しては、仏語版ウィキペディアが多少なりと教えてくれる。
Edmond Haraucourt, 1856-1941
詩人、小説家、作曲家、作詞家、ジャーナリスト、劇作家にして美術館学芸員
1882年、『性の伝説、ヒステリックで世俗的な詩集』La Légende des sexes, poèmes hystériques et profanes で作家としてデビュー。
1894-1903年、トロカデロの美術館、1903-1925年までクリュニー美術館の学芸員
前衛詩人のグループ、イドロパット Hydropathes に参加、La Jeune Franceに寄稿。
1920-1922年、作家協会の会長を務める。
ブルターニュの島にある領地をパリのシテ・ユニヴェルシテールに遺贈した、
というよく分からないエピソードつきだ。
作品はたくさんある。フォーレが曲をつけた『シャイロック』という韻文戯曲もあって、
曲の方が演奏されることは今もあるらしい。
驚いたのは小説 Daâh, le premier homme, 1914 に翻訳があって
エドモン・アロークール、田辺貞之助訳『原人ダアア』、潮文社、1972年
は、有紀書房の『人間と性の歴史』、1958年、と多分同じもの。


さて問題の「別れの唄」の原題は Rondel de l'adieu というらしく、
原文はあちこちに引用されているのだけれど、出典がことごとく書いていない。
1891年という年はちらほら見るけれど、上記ウィキペディアにはそれらしい作品集が載っていない。
どうやら、 Francesco Paolo Tosti という人が 1902年に作曲したものがあるらしく、
あるいはこちらの歌曲が流布したのかもしれないが、タイトルが Chanson de l'adieu と変えられている
ようでもあり、そうとも言い切れない。
いったい西条八十はどこでこの詩を見つけたのか、それが知りたいんだけれども、
とりあえず今は不明のままなのだ。


ところで、それにしても『性の伝説、ヒステリックで世俗的な詩集』とは、今となっては馬鹿な題をつけた
ものだと思うが、これが多分に兆発的なものだったのはとてもよく分かる。ヒステリーは当時の流行
で、いかにも軽薄ではあるが、自然主義の影響をそこはかとなく感じさせるのでもあり、私としては興味がある。
(そうか、これは『諸世紀の伝説』のパロディなのだ、と後から気付いたので附記。
じゃ翻訳は・・・、と考えてアホらしくなったので割愛するけども。)
つまるところ80年代前半のデカダンサンボリスム流派の中の一詩人から出発し、
芸達者かつ多作に筆を走らせて世俗的にはそこそこ成功を遂げつつ、美術館員に留まり続ける点
保守的というか堅実というかの人生を送った人だ。当時としては破格の長生きだし。
ルコント・ド・リールとかエレディアとか、あるいはマラルメとか、職業に留まり続ける作家は
そこそこいる。というか売れない詩人は自然そうせざる得ない。)
考えてみれば、なんと、フランスでは著作権がまだ切れていないんである。だからガリカにも
挙がってこないものと推測される。
それはそうと私は以前からこの人の名前だけは知っているのだけれど、
モーパッサンの時評文、および後に『水の上』(4月8日)にアロクールの詩の一節が引用されている。
が、これがまた原典不明のままとなっているのだ。そういうわけで、私にとっては、
実に謎めいた詩人として、エドモン・アロクールの存在がある。


ところで、アルフォンス・アレーAlphonse Allais, 1854-1905 に

Partir, c'est mourir un peu, mais mourir, c'est partir beaucoup.
「出発するとは、少し死ぬこと。だが死ぬとは、たくさん出発することだ。」

というお言葉があるらしい。もちろんアロクールのパロディであろう。
明るいんだか暗いんだか、気が利いてるんだかそうでもないんだか、
私にはも一つピンと来ないんだけども。
しかしアレーは変人なので、この人も気になっているのではある。