えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

モーパッサンとアロクールの詩

ところで昨日のアロクール「月光」に関して二点付記。

  • 1882年にデビューした前衛よりの詩人の詩を(その詩自体はロマンチックなものにせよ)、

1884年にモーパッサンが時評で紹介しているということは見過ごせない。
ルイ・フォレスチエ先生がつとに説くように、自然主義よりの小説家でありながら、
モーパッサンは現代詩の動向に決して無関心でなかった。それ以上にむしろよく理解している方だった
とさえ言えるのだ(1890年『放浪生活』にボードレール「コレスポンダンス」とあわせてランボー「母音」
を彼が引用しているということの意味を、とりわけフォレスチエ先生は強調する。
その箇所を永井荷風が翻訳している、ということの意味を、私は強調したい)。
同様の例は、他にもジョゼ=マリア・ド・エレディア詩篇「征服者たち」を引用する記事
(「役所にて」、1883年1月9日「ジル・ブラース」)にも見られる。この頃エレディアはまだ
役所勤めをしながら雑誌に詩篇を発表するだけで著作を発表していない。
1870年代にモーパッサンが詩人だったことの80年代的意味を考える上で、注目に値する要素だ。

  • もう一点は、アロクールの語っている「月の歴史」というか誕生の部分は、これ

いわゆる月の誕生「親子説」である。地球がまだ熱かった頃に一部分が膨れて分離して月になった
という説は、今日では否定的に捉えられているらしいが、察するところ(正確じゃないけど)、
これが当時の有力説だったのだろう。シュリ・プリュドム的「科学的詩」の様相をもった詩
だということである。それはレアリスムと必ずしも無縁ではないわけであり、
モーパッサンがこの詩を引用していることの意味も、その辺りに認めるべきだと思うのだ。