えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

花袋『小説作法』

とりあえず花袋が読書家であったという事実は誰にも否定できない。
そして田山花袋という人は小説談義をするのが好きだった。
そういうわけで彼の評論ないしエッセーの中にはまあたくさんの外国人作家の名前が
出てくるのである。そしてその中にはモーパッサンへの言及も多い。そういうわけで、
『東京の三十年』だけでは埒があかないので、もう少し探索を続けたい。
『小説作法』は明治42(1909)年6月、博文館から出版。
『定本 花袋全集』第二十六巻、臨川書店、1995年より引用。
(こちらは新字体に直されている。)

ゾラの作品を読んだ時から、さうした破壊力が漲るやうに私の心理を襲つて来たが、モウパツサンを読むに至つて、それが全く爆発した。理想も破れた。美しい夢も覚された。暗い現実と相対した。私はモウパツサンの作品を読んで、驚きもし嘆きもし憎みもした。かういふ状態が社会の状態であり人間の状態であるかと思ふと、慟哭したくなつた。『そんなことはない。そんなことはない。これも要するに作者の想像である。想像で見た作者の人生である』と強いて思つて、自ら心の安慰を求めやうとした。けれどそれは矢張美しい夢であつた。真乎(しんこ)に虚偽を拝(ママ)して観察して見ると、モウパツサンの描いたところは一々争ふべからざる事実であつた。美しい衣をぬぎ捨てた赤裸々の自然であつた。
私は愈々敗北した。苦い味を嘗めさせられた。
(第二編 私の経験 三 センチメンタリズムの破壊、240頁)

これは実に分かりやすい。まさしく「センチメンタリズムの破壊」そのままだ。
人の知るように若い頃の花袋はロマンチックな純朴青年であった。同じモーパッサン体験でも
永井荷風とは根本的に前提条件が違っているのである。
それにしても相変わらずの感傷癖には閉口するけれど、しかしまあリアリズム小説は一面たいそう
教育的である、ということの「成果」がこんなにありありと出ている例も珍しい。
純朴な理想を完膚無きまでに打ちのめすリアリズムの世界、としてモーパッサン小説は花袋の前に現われた。
しかしその「暗い現実」といい「社会の状態」「人間の状態」というものがいかなるものであるのか、
これまた花袋は説明するわけではないのである。「驚き」の前に「理解」は半ば停止していると言ってもいい
かもしれない。問題はいつもそこにある。
とまれ、花袋は彼自身としての答を出すわけであり、それは続いてこう語られる。

三十三年の一年は暗かつた。希望も何もなかつた。筆を執らうとする勇気も出なかつた。冷かな実際に触れて、おびえたり戦へたり長大息を吐いたりして居た。(略)
自然は理想などゝ束縛されるものでなくつて、もつと大きい自由なものである。小さい理想で、この大きな力に抵抗するのは、丁度蟷螂が斧に向ふやうなものである。理想があればこそ、抵抗もしたくなる、鍍もつけて見たくなる。なまじいに美などといふことに執着するから、自然を自然として見ることが出来ない。理想を破壊しやう、美といふ観念を破壊しやう。思ひ切つて行く処まで行つて見やう。かう私は思つた。
自然は今度は私の前に丸で違つた形式を以て顕はれて来た。(240-241頁)

文脈からすれば「三十三年」はやはり「三十四年」の間違いかと思われるが、それはともかくも、
理想を排すること、「メッキ」で覆わずに「自然を自然として」見ること。ここに田山花袋の一転換が
はっきりと打ち出されるに至るわけだ。してみれば花袋の自然主義において、
モーパッサン体験が決定的であったと、やはり述べて差し支えないのかもしれない。
少なくとも明治42年の時点で、彼はそのように自己の来歴を意味づけている。
しかし花袋がモーパッサンに何を見たのかは、この箇所からもまだ曖昧にしか掴みとれない
ように思われる。