えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

写実主義のおおもとは

写実主義の親分は坪内逍遥であり、二葉亭四迷である
ということを今さらながらに学んでほえーと思った日。
坪内逍遥は『小説神髄』であり『当世書生気質』である。
二葉亭四迷は『浮雲』である、というのは常識だあね。うーむ。
問題は逍遥の唱えた写実は紅葉、硯友社に引き継がれ、いまひとつ中途半端に終わり、
四迷こそは西洋的レアリスムをよりよく理解していたが、『浮雲』は未完に終わり、
彼を正当に受け継ぐ者は現れなかった、ということである。
吉田精一は、日本の自然主義の原点を硯友社写実主義よりも
むしろロマンチスムの発展の上に見る。つまりは近代個人主義の確立(あるいはその希求)の上にこそ
日本の自然主義は誕生した、ということであり、島崎藤村国木田独歩田山花袋がみな
抒情詩人として出発したことの必然性を、吉田精一は認めるのである。
そして日本の自然主義のある種の歪み、偏向の理由の一つもそこにあったし、彼らは
社会と対面する以上に遙かに、自己の内面の探究へと向かったのであり、
それがまた行き着く先は「私小説」という方向性をもたらすことになった、と。
とりあえず、それが今日勉強したことである。なるほど、そうかもしんない。