えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

日本におけるモーパッサン、私論

とりあえず1868年の明治維新とともに、日本の小説改革が始まったとするならば、
その最初のトピックは坪内逍遥であり二葉亭四迷であり、その次に尾崎紅葉硯友社がくる。
がそれに飽き足らない次の世代(1870年代生まれ)の文学青年達は、もっぱらその範を
西洋に求めた。それが1890年代のことだった。
この時、フランスにおいては自然主義が終息へ向かいつつ、象徴主義が幅を利かせていた。
が、当時の青年たちは基本英語なので、彼らはもっぱら英訳でフランス、ドイツ、ロシアの
作家を読んだ。おそらく「翻訳」というこの微妙なタイムラグが、1890年代末から1900年代初頭に
一連の欧州自然主義文学の作品を日本に流入させることにつながったに違いない。
ここで忘れていけないのは、モーパッサンツルゲーネフも、新しい「同時代文学」として流入した
ということだ。ロマン主義をすっ飛ばして自然主義が入ってきたことは確かに問題を孕んでいただろうけれど、
新しいものを求めている青年に、順序正しく読みなさいというのは無理な話だ。
実際のところを言えば、
一足先に入ったゾラの後、モーパッサン、ドーデ、やや遅れた観のあるフロベールゴンクール
及びツルゲーネフドストエフスキートルストイイプセン、ハウプトマンにズーダーマン
(だかズーデルマンだか)なんかがどどっと一度に入ってきたわけである。チェーホフもやや遅れた
ように思う。これが話のややこしい元で、ここからモーパッサンだけを個別に抽出して議論する
ことはどうしても無理がある、ということは一点押さえておかなければいけない。
だがしかしこの中でモーパッサンがとくに広く読まれただろうという事実は確かにあって、
それは一つには「食後叢書」「ダンスタン」の二叢書が出たとこだったというタイミングがあり、
そこには優に百五十を越す「短編」が入っていたという事情がある。普通に考えてフロベール
ゾラを読むより、モーパッサンを読む方が簡単だ。モーパッサン浸透にはそういう物理的問題が
絡んでいるという事実は、それはそれとして看過できない。
が、それだけならおそらくドーデもいい線をいっていた筈で、実際上田敏森鷗外もドーデを
褒めていたのではなかったかと思う。その時、モーパッサンが格別の印象を与えたとするならば、
その理由の第一は、やはり花袋の「西花余香」の驚きに認めるべきだろう。
が私はこれをして「好色」という言葉ではあまり語りたくない。ことはもう少し重要だったはずであり、
つまり「本能」としての「性欲」の存在を認めるか否かというのは、趣味の問題である以上に遙かに
人間観であり、それに基づく社会観、世界観の変革を求めるものだ、ということなのである。
花袋の「驚き」もその次元においてこそ認めてあげるべきなのだ。
これまでの研究者は皆、このことの重要さをちゃんと認識していない、というのが私の不満に
思うところなのだ。
人間の内にある性欲をそれとして認識し、これを直視するということ。田山花袋国木田独歩島崎藤村
モーパッサンから「学んだ」ものがあるとすれば、それは要するにそういうことだと
私は思う。
そこから帰結されることがある。
第一にそれは吉田精一が説くように、個人主義の発露と密接に結びついている。へんな話のようだけれど、
自分の内の性欲を率直に認識するということは、それを現実においていかに実現するかということと
不可分であり、その時、対他的に、あるいは対社会的に「自分」はいかに行動するかという問題が
リアルに出現する。いかにも身も蓋もない話ではあるけれど、「自然」たれ、ということを花袋
があれほど執拗に主張し、島崎藤村がその自伝的作品で悶々としまくっているのも要するに
そういうことでしょう。独歩の場合も然りであり、それは彼独自の「運命論」として作品に発露する
ことになった筈だ。もちろん、ことは「性欲」だけの話ではない。そのことを承知の上で、
私は上記のことを力説しておきたいと思う。
第二に、必然的に「道徳」が問題とされる。儒教に則るいわゆる封建道徳に対する抗議ないし反抗。
これが実際のとこどこまで実現されたかは問題ではある。しかし自然主義私小説はその
「私」大事さ故に社会道徳との間に軋轢を生まざるをえない、それは確かなことだ。
藤村の「新生」なんかはほとんど開き直りみたいなもんであるにせよ、そして実際のとこ
彼らは既成道徳と秩序の変革も打破も要求するわけではないにせよ、とりあえず
「問題に付」されたことだけは疑いない。
ここで、当時モーパッサンは決まって「不道徳」な作家と認定されていたことを思い出したい。
モーパッサンは不道徳だった。しかし彼は芸術家だった、というのが本来後に続くべき言葉なのだ。
「芸術家」の特権化がいつから始まるのかは詳らかにしない。しかし芸術家たるもの
社会道徳なんかを超越したところにあるべきものだ、という理念が、自然主義以降の作家に
ある程度以上共有されるのは確かであろう。日本の作家はみんな「不道徳」なんである、ある意味で。
そのような意味において、モーパッサンは作家の一モデルとして存在した。
当時はモーパッサンの狂死を、彼が芸術に専念し、一方で厭世思想から人間と世界を侮蔑した
「必然的帰結」として(この点で彼はニーチェと肩を並べることになる)考えられていた、
という事実もここで付け加えておきたい。
要するに「モーパッサン」は自然主義作家の、そしてそれ以降の「私小説」作家のモデルとして
ぴったり適合しているのである。
ただ一点、モーパッサン私小説を書いたりすることは勿論無かった、ということを除いて。


以上のことを全部モーパッサン一人がもたらした、と私は言いたいわけではもちろんない。
ただしかし、もしも「日本におけるモーパッサン」が真剣に議論するべき課題であるなら
(そして私はそれを信じるわけだけれども)、モーパッサン作品の果たした役割は
その最大限において考慮するべきだと思うし、そうであるなら、その「最大限」とは、
日本の「自然主義」の誕生にある決定的な、むしろ不可欠といっていい寄与を果たした
というところにあると、今の私は考える。
もしも自然主義が日本に最初の「近代文学」をもたらしたという説がそれなりに妥当である
とするならば、日本の作家はみんなみんな、モーパッサンから生まれたのである。
というのはもちろん冗談だけど。
とりあえず以上が、私家版「日本におけるモーパッサン」明治編の概略。