えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『夜の樹』

 トルーマン・カポーティ『夜の樹』、川本三郎 訳、新潮文庫、2007年(18刷)
 脈絡はあるのだけれど、間が空いてしまった。ようやく読了。
 新潮文庫の『ティファニーで朝食を』、龍口直太朗 訳には、表題作の他に「わが家は花ざかり」「ダイヤのギター」「クリスマスの思い出」の三編が収録されていて、これがいずれもすごく良いのである。甲乙つけがたいが、やはり名作「クリスマスの思い出」にまず指を屈するだろうか。なんにせよカポーティって短編上手いんだなあ、としみじみ感動したので『夜の樹』を手に取った、という話。
 これも有名な「ミリアム」は、
大津栄一郎編訳『20世紀アメリカ短篇選』、岩波文庫、下巻、2001年(3刷)
にも採録されているので知っていた。古典的幻想小説の枠に入る作品(私はこれを「オルラ系」と呼ぶ)だけれど、圧倒的に「ミリアム」は怖い。戦慄という言葉がよく似合う。
 しかし何より驚くのは「夜の樹」「夢を売る女」「最後の扉を閉めて」「無頭の鷹」と、立て続けに語られるのは、「なんだか分からない人物に出会い、これに追い詰められる」主人公の物語だということだ。「ウィリアム・ウィルソン」を洗練させた現代版、みたいなところがある。
 「ミリアム」も含めて、40年代のカポーティは繰り返しそういう物語を語り続けた、というのは多分に徴候的なことに違いない。ま、解釈は色々に出来よう、伝記的にも歴史的にも社会的にも。
 「誕生日の子どもたち」は若干10歳のミス・ボビットの異彩ある存在感が実にカポーティ的で、彼の描く子供たちはしばしば年齢不詳ではある。
 「銀の瓶」も不思議な子どもを登場させているが、これは何だかよく分からない話だね。
 「ぼくにだって言いぶんがある」は同じくアラバマの田舎を題材にした作品。
 そして最後はこれだけ1967年に書かれた「感謝祭のお客」で、(本来『夜の樹』収録の)「クリスマスの思い出」と対を成すような作品。これもよい作品だけれど、「クリスマス」に比べると、いささか教訓的要素が出すぎてしまっている感が否めないのではないか。瑞々しい感性はここでも失われてはいないのだけれども。
 いやそれにしてもカポーティは実に達者だなあ。