えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

長田秋濤がすごい

本日はささやかな送別会。


これもたびたびお世話になっている
秋山勇造、『埋もれた翻訳―近代文学の開拓者たち』、新読書社、1998年
は長田秋濤(1871-1915)にも一章さかれているのだけれど、改めて読むとこれがまた面白い。
早くからフランス語を学んで留学もして帰ってきた後、仏語からの翻訳を多数行い、
一番有名なのは『椿姫』(明治36(1903)、早稲田大学出版部)であるが、
同時に演劇にも関心を持った彼は(パリでサラ・ベルナールを観ている)、なんと
フランソワ・コペの詩劇 Pour la couronne, 1895
の抄訳『王冠』を、明治32(1899)年に春陽堂から出版。
スクリーブの Adrienne Lecouvreur, 1849
が同年讀賣新聞連載の『怨』で、
さらにヴィクトリヤン・サルドゥーの Patrie !, 1869
が、『祖国』(サルヅー著、隆文館、1906年)として出ている。
他に『匕首』というのもあるらしいが詳細不明。
そして『祖国』はあの河上音二郎一座によって上演されたというからなお驚く。
その後の波乱万丈(というか無茶苦茶)な人生も劇的だが、それにしても
そんなもんが訳されていたなんて、いやびっくりする話だ。
『椿姫』も合わせれば、スクリーブ、デュマ・フィス、コペ、サルドゥーとは
まさしく19世紀後半のフランスで最も売れていた劇作家ばかりである。
(スクリーブだけちと早いけど、全集が75年にも出ている。)
オージエが入ってれば完璧であるが、これはつまり
長田秋濤が当時のフランス演劇事情をちゃんと理解していたということを語っている。
というかパリで実際に「大衆」に受けている作家が誰だったかを彼は知っていた。
もちろん、本当の「最新」演劇事情はもはやこうした大家を古いものと看做していた
のは事実に違いない。長田秋濤の趣味はその意味で決して先進的ではなかったし、
実際「新しい」ものとして日本に入ってきたのは、
イプセンやハウプトマンやメーテルリンクチェーホフである。長田の翻訳が
どれほど受け入れられたかも疑わしくはあるだろう。
だがそれにしても、あるいはそれ故にこそ彼の存在はあまりにもユニークだ。