えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

コルシカというトポス

コルシカはモーパッサンと縁が深い。『女の一生』のジャンヌの新婚旅行先は
コルシカを経由してイタリアを巡るのだけれど、メインはコルシカであり、
イタリアは完全に省略されてしまう。
それもその筈、1880年9月に彼はコルシカに
旅行し、「コロンバの故郷」、「コルバラの修道院」、「コルシカの山賊」、
「未刊の歴史の一ページ」の四編の旅行記ないしエッセーを著した。
ついで1881年12月に「コルシカ物語」(クロニック仕立ての短編)、
翌82年8月に「新婚旅行」を書くが、両者が多少の修正を経て
女の一生』に組み込まれるのであり、とりわけ「コルシカ物語」が作者の旅行に
ある程度忠実であるとすれば、ジャンヌの旅路はまさしく作者が辿ったのと同じもの
だった、ということになるのかもしれない。
(が、事実はまったく逆で、『女の一生』が書かれた後で、そこの部分を切り取って
改変したのが「コルシカ物語」ということなようだ。)
そこに出てくる「復讐」のテーマは、
1883年10月「かたき討ち」"Une vendetta"
においても扱われ、加えておくなら
1883年12月「手」(怪奇譚)、および、
1885年6月「しくじり」"Un échec"
もコルシカを舞台にしている、こちらは滑稽話。


コルシカはモーパッサンにとって、
文明化の遅れた「忘れられた国」であり、栗の巨木とマキが生い茂る山林があり、
山を登った先には赤青の花崗岩からなる奇岩が聳えている、そういう場所だ。
植物の放つ強い香りは海上からもそれと嗅ぎ分けられる、
その島は何よりまず自然が支配している場だ。そこでは芸術は一切
生まれなかったとさえモーパッサンは言う。
そこに生きる人々は当然ソヴァージュであり、暴力と復讐、素朴にして深い情愛の念が
彼等を支配している。復讐を遂げた人間は山に逃げて「山賊」となる。


外的な自然は内的な「自然」を目覚めさせる。自然の支配するコルシカにおいて
ジャンヌがはじめて性に目覚めるのはそのためだ。
手なずけられていない自然は人間にとって脅威ともなりうるが、
同時にそこが、恐らくは文明社会が失った原初の「自然」を留めているからこそ、
人間に「幸福」を許す場にもなりうる。
ジャンヌにとっ幸福の時と場は、かくしてコルシカにおいて束の間実現し、
短編「幸福」においては、裕福な生まれの娘が一切を捨ててコルシカの
山奥に引きこもり、愛する男と二人だけで暮らすことによって、
その一生を「幸福」に暮らすことができたと語られる。


そういうわけで、エキゾチスムに彩られた理想の楽園として
コルシカは「神話化」されている、と認めるべきであろう。
アフリカとの関係はしきりに論じられる一方で、コルシカが
あまり話題にされないのは、あるいはこの典型的な「神話化」
の様相を、研究者が扱いあぐねる、からなのかもしれない。
そう言えば、「ナポレオンの祖国」であるということを、
モーパッサンが繰り返し言及している、ということも
付け加えておくべきだろうか。
いうなればメリメ以来の伝統を、モーパッサンはしっかりと
引き継いでいる、というこであろう。
以上がまあ、とりあえず常識的見解というところか。
(これだけでも詳しく論じれば(今風の)それらしい論文にはなろうが、
それでは全然なにも面白くない。ここから先にさらに一歩
二歩進めるかどうかが、研究者の直観と力量の分かれ目というもの。)


ところで、コルシカについて、
「海から聳える山」と、モーパッサンが評したという言及が
見られるのだけれど、果たしてどうなのだろう。
有名所が出典とするなら、よもやクロニックはありえないだろう、
ということで、『女の一生』を読み返すと、こんな風に書かれている。

 彼女は興奮して塩からい霧の味を飲みこんだ。それは体の中を指先まで沁み通った。到る所、海ばかりだ。けれども、前の方に、生まれたばかりの太陽の明かりの中、何か灰色のぼんやりとしたもの、一種特別な雲が重なって、先が尖ってぎざぎざになったようなものが、波の上に置かれているように見えた。
 それからそれはよりはっきりと姿を現した。明るくなった空を背景に、その形はより一層浮かび上がった。角が生えたように奇怪な、大きな山並が出現した。薄いヴェールのようなものに包まれた、コルシカ島である。
Maupassant, Une vie, Livre de poche, 1993, p. 68.

ちょっと、ないし大分違うんだなこれが。
もちろん他の箇所かもしれないので厳密には何とも言えない。
モーパッサンの名が出てきたので、ちょっと気になったのだけれども。