黒岩比佐子、『編集者 国木田独歩の時代』、角川選書、2007年
独歩は面白い、と思い始めていたところにこの本は嬉しく、
予想以上に面白すぎる。
今日、自然主義作家としてのみ有名な国木田独歩は、
しかし生前とにかく本が売れなかった。一方で後年の彼は
雑誌編集に精力を注ぎ、明治30年代に革新的といっていい
グラフ雑誌を次々に創刊した。
『東洋画報』改め『近時画報』は日露戦争中は『戦時画報』と
名を変えて成功を収めるが、戦後『近時画報』に戻るとともに
売れ行きは減衰。矢野龍渓は早々と撤退を考えるが、
独歩は友人達と「独歩社」を設立し、事業を引き継ぐ。
様々に手を打つも回復せず、やむなく破産に追い込まれた
その時、独歩の健康は悪化していた。が皮肉なことには
時代は自然主義隆盛の中、作家国木田独歩の声名はいや増しに
増してゆく。結果的に、
死後、彼が全力を傾けた編集の業績については「失敗」として
またたく間に忘れられることになる・・・。
というわけで忘れ去られていた編集者独歩の姿を浮かび上がらせる本書は
資料収集の大変な努力と伝記・証言の丁寧な追跡のたまものだ。
鷹見思水、枝元枝風、吉江狐雁、窪田空穂、小杉未醒、満谷国四郎、田内千秋
といった独歩社の面々はほとんど手弁当で雑誌を作り続けていたようで、
その他にもたくさんの人物が協力しており、国木田独歩はそれだけ人を
惹きつける力を持っていたのだろう。
同じ著者による
「編集長・国木田独歩と明治のグラフ雑誌」、『東京人』5月号、no. 254、2008年、p. 102-109.
には当の雑誌がカラーで紹介されていて、それを見ると
アール・ヌーヴォー風の表紙のデザインはどれも斬新で格好いい
というのにも驚かされる。大変モダンでセンスがよかったのだ。
『婦人画報』を除いて他の雑誌は全て短命に終わってしまったことは
実に惜しいことだった。
私市保彦、『名編集者エッツェルと巨匠たち』、新曜社、2007年
もそうだけれど、敏腕の編集者の周りには当代の作家達が集まってくるし、
エッツェルも独歩もビジュアルを重視したので当然画家との繋がりも生まれる。
編集者の姿を追うことで、その時代の文学史、というより文壇史の一面が
鮮やかに浮かび上がってくる、
ということが深く納得されるのでもある。
「謎の女写真師」発見の経緯もまた感動的であることを忘れずに
記しておこう。
それにしても、
「独歩社は自由の国であった」
という吉江狐雁の言葉は眩しい。熱くたぎりながらはかなく消え去った
一時代を、たしかに蘇らせてくれた著者に感謝したいと思う。